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映像をめぐる冒険vol.5 記録は可能か。
展覧会
執筆: カロンズネット編集3   
公開日: 2012年 12月 17日


出品/作品より

 

東京都写真美術館は、平成20年度より「映像をめぐる冒険」シリーズと題して、映像部門の5つの基本コンセプト「イマジネーションの表現」「アニメーション」「立体視」「拡大と縮小」「記録としての映像」の中から毎年1つを取り上げ、展覧会を開催してきました。5回目となる今年は、「記録としての映像」をテーマに、当館が収蔵するコレクション作品とともに、映像というメディアの歴史を遡りながら、その今日的な役割を考察します。 映像史において、記録映画とも言われるドキュメンタリーは、映画とともに始まったと言っても過言ではありません。映画の父と呼ばれる、リュミエール兄弟の世界初の実写映画《工場の出口》1895年公開)は、タイトルどおり工場の出口から出てくる労働者たちの様子を撮影した、まさに記録映画でした。それから100年以上を経た今日、ドキュメンタリーは、一つのジャンルとして定着し、今や映画に限らず、テレビやインターネット上の動画配信システム、ソーシャルメディアを通じて、ドキュメンタリー映像をみるだけでなく、その上、自分自身で発信することが身近な時代になりました。しかしながら、映像の誕生から1世紀余り、数多の体験をしてきた私たちを取り囲む日常は、日々刻々と変化し、映像が担う役割も複雑化してきています。 それでは、映像は何を記録することができるのでしょうか、そして何を伝えることができるのでしょうか、もしくはそもそも映像は何かを記録することができるのでしょうか。今回の展覧会では、そうした問いを出発点に、過去から現在、未来にいたる記録映像の変遷と可能性を、「通信-メッセージ」「抗議と対話―アヴァンギャルドとドキュメンタリー」「記憶―アーカイヴ」というキーワードを通して、映像と社会を結びつけるいくつかの事例から検証します。

[作家プロフィール]
金坂健二
1934年東京都生まれ、1999年死去。写真家、映像作家、映画評論家。慶応大学文学部英文学科卒業後、松竹に社長づき通訳として入社。映画評論家として活躍する一方で前衛映画の製作を行い、60年代から70年代にかけて渡米し、アンディ・ウォーホルやアレン・ギンズバーグなど当時のカルチャー・シーンの中心人物とも交流を持ちながら、アンダーグラウンド映画を初めて日本に紹介。ストリートの深部に入り込み自らも写真家として多くの作品を発表した。

宮井陸郎
1940年島根県生まれ、岡山/東京在住。映像作家。1960年代に「映像芸術の会」に参加するとともに「ユニットプロ」を主宰。拡張映画、環境映画としての映像作品を数々発表し、アンダーグラウンドシーンを牽引する。また、アンディ・ウォーホル展の企画などプロデューサーとしても活躍。1976年以降はインドに渡り、瞑想に入る。金坂同様にアンダーグラウンドシーンを牽引していた宮井の問題意識は、時代の全体像を「透視することが困難な時代において、現象が我々の前にあるのではなくて、我々自身が単なる現象として現前している」 として、それまでの映画作品に多くみられた外面性/内面性の二項対立という図式からより現象学的方向に向かっていた。
そして、自身の関心から当時ヌーヴェル・ヴァーグへ影響を与えていた「シネマ・ヴェリテ」の手法にならい、《時代精神の現象学》(1967)を制作する。映画では、ユニット・プロの一室からはじまり、新宿の繁華街、スーパー、映画館、ゼロ次元のパフォーマンスにいたるまで「計画されたハプニング」の一日が長回しで撮影され、最後は地下街に設置された時計の3分間の大写しで終わる。1967年の新宿の空気を切り取ると同時に、最後のショットによって映像に潜在的な時間性が意識される。計画された偶然性やパフォーマンス性をもった映像をコラージュする実験的な手法は、宮井が構成で協力したテレビ番組《クール・トウキョウ》(村木良彦演出、1967)でも用いられている。
「シネマ・ヴェリテ」的手法や、アンディ・ウォーホルの作品に見られる物質性や反復性を重視する「ポップシネマ」的手法に可能性を見出していた宮井は、作品の上映方法にも着目し、二つの同じフィルムを一面に重ねて投影するなど、後に「拡張映画」と言われるような、上映方法を提案した。《シャドウ》(1969)は、タイトルどおり自身の影の記録であり、反転したフィルムとオリジナルのフィルムを同時に2面構成で上映しており、宮井の問題意識を率直に反映した作品となっている。

おおえまさのり
1942年徳島県生まれ、山梨県在住。映像作家、作家。1965年にニューヨークに渡り、ジョナス・メカスらアンダーグラウンド映画作家たちの影響下で映画制作を始める。ティモシー・リアリーやリチャード・アルバートとの交流をとおして、アメリカで当時起こっていた「サイケデリック・レヴォリューション」を体験。一連の社会的なドキュメンタリー作品と並行して、サイケデリックによってもたらされた個人の内的ヴィジョンの映像化と呼ぶべき作品を多数制作。《Head Game》(1967)、《No Game》(1967)は、後に「ニューズリール」により全米配給が行われた。CBSの依頼により制作された6面マルチプロジェクション作品《GREATE SOCIETY》(1967)は、当時のアメリカのニュース映像をコラージュし、社会的メッセージと内的イメージを一体化した、エンバイロメンタルな作品となった。
1969年に帰国、自らの作品を上映するかたわら、金坂健二、中平卓馬とともに「ニューズリール・ジャパン」を立ち上げる。その活動は映画のみにとどまらず、70年以降は写真集や精神世界に関するエッセイなどの多数の著作、『チベットの死者の書』(1974)をはじめ翻訳多数。

城之内元晴
1935年茨城県生まれ、1986年死去。映画監督。1957年、日本大学芸術学部映画研究会(日大映研)に参加し、《Nの記録》《プープー》の演出を手掛ける。1961年にジャンルを越えた表現者たちの交流拠点として、VAN映画科学研究所を立ち上げる。そこで勅使河原宏や荒川修作、また風倉匠、赤瀬川原平、小杉武久などの前衛芸術家たちと共同制作を行う。1970年以降は神奈川映画ニュース映画協会及び東京都映画協会にて数多くのニュース映画を手がけた。
《日大大衆団交》は1961年から1975年に完結する「ゲバルトピア∞」シリーズの一つであり、他の作品と比較すれば、作品性が強いものではなく1968~69年の日大の全共闘闘争を自身が走り回り撮影した記録の断片になっている。しばしば孤高の映像詩人と形容されるように、城之内はボレックスの16ミリカメラを駆使してコマ撮りやカメラ内編集を行い独自の作品を制作してきたが、 その撮影の即興性に依拠する独自の手法はここでも見ることができる。

中谷芙二子
札幌生まれ。東京都在住。美術家。米ノースウェスタン大学美術科卒業。画家として出発し、1966年、芸術と技術の実験グループ「E.A.T.」に加わり、数々の実験的プロジェクトに参加。1970年大阪万博のペプシ館で《霧の彫刻》を初めて制作、以降人工霧を使った霧環境、インスタレーション、公園設計、舞台作品等を世界各地で発表。1970年代以降は社会、自然、環境をテーマにしたコミュニケーション・プロジェクトを推進。1972年「ビデオひろば」の結成に参加し、自らもビデオ作品を発表。80年に「ビデオギャラリーSCAN」を開設、年2回公募展を催して日本のビデオ作品を発掘し、海外に紹介する。1987年から大規模な国際フェスティバルを主催、国内外のビデオ・アーティストの交流と作品の配給を本格的に行って、日本におけるビデオ・アートの推進者となった。
2009年には、その活動により文化庁メディア芸術祭功労賞を授与される。2012年、これまでの全作品の集大成となる3ヶ国語のDVD/書籍『Anarchive n°5 - FUJIKO NAKAYA 中谷 芙二子/FOG 霧 BROUILLARD』がAnarchive(パリ)から出版された。

小川紳介
1936年東京都生まれ、1992年死去。映画監督。1960年より岩波映画製作所と助監督契約。1964年フリーとなり、小川プロダクションを設立、大学紛争や三里塚闘争などの記録映画を撮る。山形県上山(かみのやま)市に移り、農村を対象としたドキュメンタリー映画を撮り続けた。代表作に《三里塚・第二砦(とりで)の人々》《ニッポン国古屋敷村》など。

ニナ・フィッシャー&マロアン・エル・ザニ
ニナ・フィッシャー(1965年ドイツ、エムデン生まれ)とマロアン・エル・ザニ(1966年ドイツ、ドゥイスブルク生まれ)、ベルリン在住。90年代前半より,廃墟や忘れ去られた場所や空間を題材に、その社会・歴史的な意味を探求していくプロジェクトを映画、写真、インスタレーションなどさまざまなメディアを通して展開している。日本では「オーラ・リサーチ」展(東京都写真美術館、1998年)をはじめ、グループ展、映画撮影や上映など多数。


全文提供:東京都写真美術館
会期:2012年12月11日(火)~2013年1月27日(日)
時間:10:00-18:00(木・金は20:00まで)  ただし2012年12月28日は10:00-18:00、2013年1月2日・3日は11:00-18:00、1月4日は10:00-18:00
休日:月(月曜日が祝日の場合は開館し、翌火曜日休館) 年末年始(2012年12月29日~2013年1月1日)
会場:東京都写真美術館
最終更新 2012年 12月 11日
 

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