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安藤智 展
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 5月 19日

copyright(c) Tomo ANDO

柔らかくも鮮やかな色合いの中にたたずむ一匹のヒツジ。使用している色の数は多くない。ただ、一色だけで塗られているのではなく、何種かの絵具を使用し、とても丁寧に描き重ねられている。アウトラインがあるようだが、よく見てみると線ではない。それもまた描かれた面なのだ。モチーフとなった動物と塗り重ねる色を、とても大事に丁寧に扱う作家の姿勢が伝わる画面が目の前に広がる。 安藤智はこれまでにも個展を毎年開催し、グループ展公募展への応募・入選など、積極的に作品発表の場を設けている。以前にはニュートロン企画のグループ展にも参加するなど、ニュートロンのギャラリースペースでの作品発表は初めてではない。しかし今回は個展であり、しかもギャラリースペースでの個展だけではなく、回廊式ギャラリー(文椿ビルヂング・ギャラリー)での展示も同時開催だ。そこではキャンバスに油彩という作品だけではなく、色鉛筆によるドローイング作品なども多く展示される予定である。会場の規模だけではなく作品内容からも安藤智のこれまでとこれからを見ることが出来るとても楽しい展示になるのは間違いない。

彼女の作品を見ていると、高校生の頃に行った動物園でのスケッチを思い出す。見たままを描きたいのに動物達は動き回る。描きにくいことこの上ない、そう思ったことがある。しかも見たままを描くのだから、描いていて違和感を覚える線があるものの、描き終わってみると意外と動物らしい形になったりする。ただ、動物が動き回るからというのが必ずしも描きにくい理由ではないだろう。キャラクターの存在が先入観として植え付けられているということも描きにくさの一つの要因だと私は考える。猫や犬を描くとどうしてもキャラクターのように描いてしまいがちだし、そのイメージが大きいがためにそうなってしまう。しかし実際に猫や犬は可愛いマスコットキャラクターのように鎮座しているわけでもなく、様々な動きをする。図鑑などで見たり、キャラクターなどで見慣れてしまった動物のイメージとは、実際に本物の動物を目の前にした時には何の役にも立たないパターンでしかないのだ。人物スケッチについても同様のことが言える。人間にはここに目があって鼻があって、手と足があって…と知っているものの、実際に人物を目の前にスケッチを始めると、自分自身がもっている「人間」というもののイメージとはなんと浅いものなのだろうと認識させられる。見ているようで見ていないものを見ようとすること、そしてそれを描き表現すること。それこそが安藤が目指すところで、制作において大事にしていることなのだ。だからと言って彼女の作品は実写さながらの写実主義的な絵画ではない。動物をドローイングで描き、その中から自分が気になる形を拾い出す。その過程で本来の動物の姿から、彼女がなぜか気になり、見たいと思う形へと変化する。その形は簡略化されてはいるもののデフォルメはされていない。それはつまりキャラクターのように単に簡略化・擬人化され異様にデフォルメされたものではなく、モチーフをよく見ることによって「見えていなかったものが見え、見ていたものが見えなくなった」ことの現れなのだろうと私は感じている。

ギャラリーの壁に並ぶ動物達。彼女のフィルターを通って出てくる彼らは、私が目にした事がない形をしているかも知れない。そんな彼らはとまどう私の事など関係なく、とても軽やかに色鮮やかな世界を動き回る。今回はどんな動物達に出会えるのだろうか。

※全文提供: gallery neutron

最終更新 2009年 5月 26日
 

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