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Moeglichkeit II(メークリヒカイト II)
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 5月 15日

田内万里夫 2007年, ink on wall, Courtesy of Roentgenwerke AG copy right(c) Mario TAUCHI

高田安規子・政子≪Jigsaw puzzle≫2008年 使用済み切手付封筒、16.1 x 10.3 cm Courtesy of Roentgenwerke AG copy right(c) Akiko & Masako TAKADA

可能性。この未来を予想する不確定な言葉。しかし、我々は常にそれを信じて、日々を生きている。当然の事ながら生の終焉が近づけば近づく程、それは小さく、薄く、頼りなくなっていく。とするならば、青年達にはより大きい、より強大な可能性があるはず。

だが、表現者における青年は年齢に左右されない。経験に左右されない。明確な意志と技術を持っているならば、それは表現者としての青年である。即ち、そこにはより大きい、より強大な可能性がある。

レントゲンヴェルケは彼ら青年の可能性をより世に知らしめるべく、これまでも様々な展覧会を開催してきた。そして昨年、敢えてその可能性の探求を前面に押し出すテーマで、最初の「メークリヒカイト」を開催した。今夏、今一度、青年達の可能性を世に問う。 フットワーク軽く、世界を飛び回る者。意思を通い合わせ二人で制作をする者。スタジオにしっかりと籠り、延々と手を動かす者。何ものかわからない意志に突き動かされ、延々と筆を走らせる者。技法もバラバラ、作風も様々。

昨年のVia Artで頭角を現した児玉香織。その作品は、方眼紙にロットリングで只ただ丁寧に描写される料理。味ではない、栄養でもない、華やかな盛りつけですらない、そこにあるのは客観としての食。

アクションドローイングという、一見荒々しさだけに陥りそうな制作の指針を持ちながら、的確な時宜判断と構成力によって、精緻な終結を生み出す田内万里夫。紆余曲折を経て、愈々本格的に美術の世界へと足を踏み込む。

和魂洋才、洋魂和才。英国で鍛えられたコンセプト構築能力と日本人ならではの緻密さ。高田姉妹の能力/技術の相互増幅は、観客の注意力に挑戦する。 満田晴穂。美術家としての彼の名を知るものは片手にも満たない。だがその手によって生み出される虫たちによって、観客は人間の手技に限界が無い事を知る。

想像を絶する技法によって作り出される繊細な立体。芳木麻里絵のシルクスクリーンは、技法の限界が表現の欲求によって打ち破られる可能性の現実化。 共通しているのは、彼らはこの美術の世界に於ける青年である、という事。即ちはより大きい、より強大な可能性を秘めた存在であるという事。レントゲンヴェルケは、彼らの溢れんばかりの才能を解き放ち、閉塞の一途をたどる美術の世界に風穴をあける使命、その先鋒を託す。

※全文提供: レントゲンヴェルケ

最終更新 2009年 7月 03日
 

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