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小倉正志:二十一世紀都市
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 5月 08日

copyright(c) Tadashi OGURA

今年1月に京都で開催した「祝祭の日」と同様、タイトルはおろか出展作、展示配置まで石橋が担う小倉正志展には、この作家の従来出し切れていないと思われる制作の本質を見せるため、代表作を中心に年代を交えて一つの展覧会を構成するという目的、即ちキュレーションという形で彼の作家としての仕事を再発見したいという気持ちがある。

さて、その東京展のタイトルは「二十一世紀都市」であって、「二十世紀都市」ではない。そこにはミレニアムを跨ぐというだけではない、都市の本質的な変容を示唆しての意味が込められているのだが、果たして小倉正志は二十世紀の終わりの頃に画業を始めているので、一概に作品が全て21世紀になってからのものであると言う事ではない。また、このタイトルには小倉正志(1963年生)と石橋圭吾(1973年生)の歳の差10歳をモノともしない「二十一世紀」という作られた未来像と、現実に今目の前にある都市の姿との比較を促す意味も含まれている。私達は否応無しでもこの新世紀を、刻々と変容する新しい都市とともに、生きて行かねばならないのである。20世紀最大の発明とされたインターネットは21世紀に完全に大陸を繋ぎ、世界を同時多発的な一国家へと変貌させ、もはや政治のコントロールよりもネットの影響力の方が強い時代である。それが国籍の無い都市、既視感と競争原理に支配された、「二十一世紀都市」の姿である。

小倉正志はアクリルペイントを基本とし、マーカーでのドローイングや近年では版画での制作など幅を広げているが、本質的には画家である。そのテーマとなるのは一貫して「都市」という存在であり、時代の変遷とともに必然的に彼の描く光景もまた変容する。初期の、子供のようなアグレッシブな線と派手な彩色による成り立ちから次第に画面は色の深さとイメージの奥行きを備え、やがて世紀を跨いで以降は一様でない都市の在り方を様々なスタイルで描写してきた。そしてもちろん、今も続く。

彼の描く都市は場所や国籍を限定していない。日本らしきイメージはおろか、特定されるような情報は見当たらない。人を表すアイコンや花火のように打ち上がるエネルギーは、都市の内包する多様性や溢れんばかりの情熱を示すかのように、飽きることなく繰り返し登場する。色彩は実に幅広く使われるが、およそ原色のビビッドな印象が強い。さりとて色による影響と言えば、感情に訴えかけるというよりも、都市の中に蠢く雑多なエネルギーの集合的な、瞬発的なエネルギーの噴出の度合いを示すかのようで、色の強さは画面全体の勢いやイメージの強さと比例するため、鑑賞者は渾然一体となった画面からのただならぬ圧力をまともに受け続けると、目が眩むほどの疲労を感じることだろう。即ち都会慣れしていない人が、大都市のど真ん中で圧倒的な人と物量にフラフラするように。だからこそ、小倉の絵画は一つ一つを丁寧に、しっかりと紡いでやらないと、個々の印象を見落とすことにもなりかねない。

私が思う都市と、小倉が描き続けてきた都市のイメージとの合致する部分が、この展覧会の作品で出されている作品であると言っていいだろう。そしてそれは、おそらく小倉作品の中でも比較的はっきりとした像を結んでいる都市達の姿であり、その興亡、明暗、浮遊と輪廻を繰り返す生命体としてのアイデンティティーを認識するには充分の内容となることを期待する。もちろん新作も交え、代表作や未発表作も含むベスト展と言っても差し支えないだろう。

小倉と私と、その他大勢の二十世紀少年達が夢見た二十一世紀に、残念ながら平和で機能的で人智を尽くした未来都市としての姿はほとんど見当たらない。相変わらず、破壊と創造の喧噪に包まれ、人類による環境破壊には歯止めがかからない。しかし、都市は生きている。人間は都市のエネルギーであり、構成員であり、道路という血管を通る血液でもある。過去に共産党の構成員を「細胞」と呼んだ時代があったが、まさに私達は細胞である。まだ見ぬ未来都市を作るのは、一人一人、私達「細胞」に託された永遠の課題でもあり、DNAに書き込まれた人類の定めなのだろう。

全文提供: neutron tokyo

最終更新 2009年 6月 24日
 

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