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オトナ ノ ラクガキ 池田満寿夫’60年代 VS 安元亮祐新作展
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2012年 1月 22日

画像左:池田満寿夫《楊貴妃7(反旗が煙とやってきた)》1964年 | エッチング 6×4.7cm | 画像右:安元亮祐《雨上がりの女》2011年 | ドローイング 30.5×23cm

1960年代、池田満寿夫は銅版画の最もシンプルな技法、ドライポイントやエッチングにより瞬時の絶対的なイメージを銅板に直接、強い引っ掻きキズのような線を刻み、落書きとも言われながらも、ベネチア・ビエンナーレで《大賞》を受賞、日本人で始めてNY近代美術館で個展を開催するなど数々の優れた作品を世に出した。

安元亮祐はその落書きのような刻線に憧れながらも自分だけの線描を模索し、ノスタルジックな情景をヤスモトグレーと言われる魅力的な色彩で表現し、多くの人々を魅了してきた。安元の作品は池田の認めるところとなり、晩年には安元の個展に推薦文を書いてもらう事となる。

今展では、50年前の池田作品に安元が新作で挑戦する。このたびは即興的な表現で鮮やかにものの本質を描いた二人の作品は、大人の斬新なユーモアが溢れ、展示空間はスリリングな面白さに満ちています。

[作家プロフィール]
池田満寿夫 略歴
1934 旧満州国奉天(現・中国遼寧省)生まれ
1952 長野北高等学校を卒業後、上京。
東京芸術大学の受験に3回失敗 独学の画家の道を歩む。
1956 瑛九の助言で色彩銅版画を始める
1960 第2回東京国際版画ビエンナーレ展で文部大臣賞受賞
1961 第2回パリ青年ビエンナーレ展で優秀賞受賞
1962 第3回東京国際版画ビエンナーレ展で東京都都知事賞受賞 
1964 第4回東京国際版画ビエンナーレ展で国立近代美術館賞受賞 3回の連続受賞により
国内の評価が確かなもの となる
1965 ニューヨーク近代美術館で同館収蔵品で個展
1966 第33回ベネチア・ビエンナーレ日本代表
とにり銅版画出展 版画部門国際大賞受賞
1967 第17回文部省芸術選奨文部大臣賞受賞
ベルリンへ留学 ヨーロッパ各地で個展
1968-1975 東京、ニューヨークにアトリエを持つ
1977 小説「エーゲ海に捧ぐ」により第77回芥川賞
1978 自らの脚本・監督で映画「エーゲ海に捧ぐ」製作
1982 熱海市に移り住み,作陶を始める
1993 山梨県増穂町に独自な「満寿夫八方窯」を築窯
1997 63歳で逝去 長野県松代に池田満寿夫美術館開館


安元亮祐 略歴
1954 兵庫県姫路市生まれ
1972 光風会展初出品(以後毎年出品、奨励賞・会友賞他) 
1975 筑波大学付属聾学校美術専攻科中退
1975 千葉県美術展・美術館長賞受賞、
1985、1986 県知事賞受賞
1988・89安田火災美術財団奨励賞展受賞 
1990 セントラル美術館油絵大賞展・佳作賞
1992 第27回昭和会展・昭和会賞受賞
1975-2011  個展多数開催
(東京、千葉、豊橋、 甲府、大阪,岡山、愛媛、福岡他)
1993年 日本ろう者劇団 デフ・パペットシアター ひとみ合同 公演『真夏の夜の夢』
及び2001年結成20周年記念公演『ギリシャ神話よりオルフェウス』舞台美術担当

パブリックコレクション
安田火災東郷青児美術館、笠間日動美術館、福岡女子商業高校、豊田市ほか。 
現在、茨城県在住

全文提供:ワイアートギャラリー


会期:2012年1月17日(火)~2012年1月29日(日)
時間:11:00-19:00(日曜は17時まで)
休日:月曜
会場:ワイアートギャラリー

最終更新 2012年 1月 17日
 

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