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菊竹清訓氏死去
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Written by KALONSNET Editor   
Published: January 07 2012
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   建築家、菊竹清訓が2011年12月26日に心不全で死去していたことが2012年1月5日に公表された。享年83歳。
   福岡県久留米市出身の菊竹氏は、早稲田大学理工学部建築学科在学中からコンペに入選。卒業後、竹中工務店などを経て、1953年に菊竹清訓建築設計事務所を開設した。1958年には東京の自邸を実験住宅とし、「スカイハウス」プランを実施。1960年には生物学の「新陳代謝」の概念を、都市と建築に採り入れるユニークなデザイン理論「メタボリズム」を黒川紀章らとともに提唱した。1964年には出雲大社の事務棟「庁の舎」の設計により、第15回日本建築学会賞などを受賞。その他、受賞多数。
   代表作として、大阪万博エキスポタワー(1970)、島根県立美術館(1959)、川崎市市民ミュージアム(1988)、銀座テアトルビル(1987)、江戸東京博物館(1993)、ホテル・ソフィテル東京(1994)、九州国立博物館(2004)など。また、建築だけでなく、1975年、沖縄海洋博の政府出展海上都市「アクアポリス」の空間プロデューサーのほか、1988年開催の「なら・シルクロード博」や2005年開催の「愛知万博」などでもプロデュースを手掛けた。日本建築士会連合会名誉会長、アメリカ建築家協会(AIA)特別名誉会員。

Last Updated on January 07 2012
 

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