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櫻井智子:わらべの目
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 4月 08日

© Tomoko WARABE / Courtesy of neutron tokyo copy right(c) Tomoko WARABE / Courtesy of neutron tokyo

過剰な時代と言われて久しいが、昨今の不況の影響で消費においては必需品のコストが見直され、例えば衣服においてもカジュアルでありながら機能性とデザイン性に優れたブランドが人気を集めているのは、ある意味では過剰なまでの装飾性や悪趣味に近い華美な物品の在り方を問いただすきっかけになるのであれば、ネガティブにばかり捉える必要も無いであろう。時代の趨勢はいずれまたそれらを隆起させるのであろうが、物の本質を失ってまでの装飾・デザインの先行を美術もまた振り返りつつ、表現や物作りの核たる部分を見極めるタイミングとしては格好である。

画家が本当に描こうとするものは、一概に画面中に素直に表れているとは限らない。本人が意図するテーマとは裏腹に、時としてスタイルや既存のイメージが邪魔をして本質を伝えることを妨げる場合が多く見られる。櫻井智子の場合もまた、従来はいわゆる「幻想画」としての画風による作家イメージが定着しかかって居た折り、しかしながらその描くべきモチーフの本来のユニークさと作家の確かな技量が、ようやく昨年あたりから邪魔な装飾を排除し、水墨画・墨彩画の範疇から推察される様式美を超える驚きを作品から発することに成功しつつある。

和紙に墨で描くという基本スタイルは不変だが、近作の画面にはモチーフ以外の一切の言い訳が存在しない。昨年の8月に京都のニュートロンでの初の企画となった個展において、「古くからの住人」と題された作品群に見られたのは、伝統技法に裏打ちされつつも独自の線描の表現に厚みを増し、何より選択したモチーフの印象の強さと、それを表現することに対する逃げの無さによって、見事に新たな境地を開いてみせた感があった。

櫻井が当時から今に至るまで一貫して描くのは、決して動物アニメーションの主役として可愛がられることの無さそうな、グロテスクで珍妙な姿をしている生き物達であり、それらの多くは地球上に人間よりも遥か昔から存在していながらも、現在は絶滅の危機に瀕するものも少なく無い。あるものは最早歴史上の生物として、あるいは空想上の存在と思われていたり、またあるものは身近に見つければ思わず悲鳴を上げて逃げ出したりしたくなる存在としてイメージが定着している。・・・しかしである。よく見ればその表情は実に生気に満ち、その姿はまさに生物の生物たる生き様を示すかのごとく機能的で、時に挑発するかのように扇情的で、力強く、「美しい」。そうは見えないだろうか?

私達の現代生活における「美」の概念は行き過ぎた清潔志向に端を発し、生き物としての遺伝子を消臭スプレーでことごとく滅菌するべきと宣伝され、さらには本来の姿を晒すのと対局に極度の装飾と化粧によって、オリジナルの顔はコピーに近づくことを目指し、即ち人間は生き物としての本来の在り方を文明の名の下に否定しているかのごとく。その行き着く先が遺伝子の変質であり、環境への適応能力の低下であり、おそらくは地球の終焉を待たずに滅亡する予兆なのだとすれば、それは人間と言う脆弱な生物の来るべき未来であると言い切れよう。

櫻井が描く生物達はこの現代においてまで、必死で戦って生き残ってきたサバイバーであり、その身体能力、戦闘能力も強力である。温暖化の果ての未来予測では全世界が熱帯化し、下等生物達が巨大化して地球上にはびこると言う。無論、その世界に人間の出る幕など無い。自虐的な見方かも知れないが、私達に出来ることは、ここに描かれた力強く美しい生物達をアイコンとして崇め、その遺伝子のほんの一端でも継承できることを祈るしかないのであろうか。画家としての櫻井にもまた、同種のしたたかな強さが兼ね備わりつつあることを期待しつつ。

※全文提供: neutron tokyo

最終更新 2009年 5月 13日
 

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