中村宏:一点消失 |
展覧会 |
執筆: 記事中参照 |
公開日: 2011年 9月 11日 |
自らを「絵画者」と名乗る中村宏は、1950年代から今日までおよそ60年にわたり、「モンタージュ絵画」「観念絵画」「タブロオ機械」など独自の方法論を展開、タブローを理論化し、絵画が否定された時代においても揺るぎなく自らの絵画表現を切り開いてきました。このたびの展覧会では、現在展開している「一点消失」シリーズ8点とドローイングを展示いたします。 「一点消失」とは、遠近感を出すための古典的絵画技法の一つです。しかし中村は遠近法としてではなく、技法を“モチーフ”に変換し、絵画のさらなる深化を図ろうとしています。消失点に向かう遠近法の構図を平板なグリッドが覆い、“奥行き”と“平面性”の相反する要素が交錯する多層化したタブローから、鑑賞者との往復運動が生み出されてゆきます。 黄と黒、あるいは赤・黒・白の簡潔な色の組合せで「一点消失」は構成されます。これまでに、赤一色で描かれた「観念絵画」、黄色と黒のストライプで構成される「立入禁止」など、色自体をテーマとした作品が生み出されてきました。黄色と黒のストライプは、駅や踏切などで見かける注意喚起の記号であるにもかかわらず、中村の描く黄色と黒からは、鮮烈な美しさが放たれます。1950年代、街の注意喚起の標識が“白と黒”の組合せから、米軍基地からもたらされたという“黄と黒”に変化し、初めてその色彩に出会ったときの強い衝撃が、タブローから鮮やかに蘇ります。 【関連企画】 アーティストトーク 「 絵画内映画 」 作品の中に“時間”や“動き”などの映画的要素を、象徴的に数多く組み込んできた中村が、初めて「映画」をキーワードに作品を俯瞰し、映画と絵画について語ります。学生時代、映画監督に憧れた中村は“時間”を描きたいという欲求のもと、絵画を静止画像(=ストップモーション)と捉え、映画技法である「モンタージュ」や、横長の画面、残像、リフレインなどを駆使し、動くことの喚起装置として描いてきました。エイゼンシュテイン『戦艦ポチョムキン』や、黒澤明『羅生門』 ほか映画の中の“ワンシーン”をとり上げながら、映画と絵画について掘り下げてゆきます。 中村宏 主な展覧会 主な作品集・著書 パブリック・コレクション 全文提供: ギャラリー58 会期: 2011年10月3日(月)-2011年10月22日(土) |
最終更新 2011年 10月 03日 |
映画館で映画の上映が終わった後、すぐに帰ってはいけない。暗かった館内が明るくなり、白いスクリーンが現れた時、今まで観てきた映画の世界が何処に消えてしまったのか、確かめて欲しい。そんな気持ちになるのが、今回の中村宏の展覧会だ。
四方の角から引かれた対角線に沿って視線を動かすと、画面の奥に引き込まれそうになる。しかし、その先にあるのは整然と並ぶグリッド。グリッドと対角線との位置関係は周到にあやふやにされ、自分が何に向けて視点を動かしていたのかわからなくなっていく。また、画面下部の、奥まで続く階段のモチーフは線描で濃淡がない。またもや線のみにつられて眼差しを奥へ走らせると、階段と、殴り描きのような線の描かれた周辺の空間との位置関係があやふやになっている。目の前にキャンバスという平面がありながら、まやかしの奥とまやかしの空間が立ち現れてくる。対角線や階段など、線で描かれた消失点が露になるほど、空間の「奥行き」が消失していくという妙な構造だ。
画中の階段や機関車のモチーフからは、映画に造詣の深い中村らしく、エイゼンシュタインの『戦艦ポチョムキン』に見られる階段のシーンや、世界で始めて映画を公開したリュミエール兄弟の、駅に蒸気機関車が到着する場面を撮影した作品等が連想される。奥のほうから突き抜けてくるものと、バックに漠然と広がる漆黒と、黄色と黒色の色彩の衝突が、様々な動きを脳裏に焼き付けて鮮烈である。視線を動かす時間が凝縮された平面が、味わい深い。