200点あまりの題名のない絵画を誰にも知られず描き残した無名の女性がいる。その名を関谷富貴という。今回の展覧会は、関谷富貴(1903-1969。本名はカネ。)の夫が1925年に描いた、油絵の富貴像から始まる。夫は、二科会で活動していた油絵画家・陽(1902-1988)※1 だ。その絵には、着衣の半身像が描かれている。富貴の顔は正面を向きつつ少し下に俯いている。何かを考えているような表情だ。大様な筆触分割で描かれた絵からは、丁寧な筆致が窺え、眼の前の一人の女性に絵筆で向き合おうとする真摯な絵描きの姿がうかがえる。この絵は、結婚前、富貴が22歳、夫の陽が23歳の頃に描いたものだ。 陽は、前出の通り油絵画家であり、また陽の父親は、雲崖と言う名で、南画家・小室翠雲に師事した画家である。描かれた富貴という女性は、誰も知らなかった存在だろう。本展覧会を企画した学芸員・杉村浩哉氏が、陽の絵を調べていた際に発見した画家である。富貴は、ひっそりと、夫が外に出掛けている際に絵を描き続けていた。富貴の義妹の元に遺されたのは、沢山の、夫が開く絵画教室の余った画材で描かれた絵。その絵には、余りあるエネルギッシュな表現が施されていた。そして、言葉では表せず、絵画だからこそ示せた、妻や女や人としての感情が吐露されている。それにしても、彼女を画家と言って良いのだろうか。図録によると、富貴は、自宅や絵画教室に飾られた富貴の絵を観て発表を薦める人がいても、「私の仕事は陽を世に出すことですから」と言って、自分の絵は一度も公にしてこなかったという。※2 本人が生きていれば「画家」と呼ばれることは拒むかもしれない。
富貴の絵画は、大まかに分類すれば抽象だが、時々、動物等の具象的な表現や象形文字のようなものも含まれる。様々な色を重ね、微妙な色彩の移ろいを生かした絵は、パウル・クレーやカンディンスキーを髣髴とさせる。※3 画材は、水彩や油性パステル、油絵等。題名の付けられていない富貴の作品は、今回、題名が無いまま展示された。それらを大まかに、画題や画材といったものから分類して構成されている。抽象画を集めたセクションでは、大まかな色彩分割のものや、象形文字のようなもの、細かな線で区切られたもの等の多彩な表現が観られる。微妙なグラデーションを意識した色彩感覚が際立つ作品が多い。 次が人物像や自画像を集めた展示だ。図1(紙、油性パステルを主とする混合技法、38×27cm)[fig.1]の背景は、ピンクや黄色等の明るい色の上に、紺色を塗り重ねている。長く伸びた黄色い首の上に繋がるのは、正面を向いた翠色の顔に赤い髪の頭部。描かれている顎までの長さの髪型を観ると、富貴の生前の写真と重なる。自画像のようだ。白く縁取られた目は阿吽像よろしく見開かれている。下から透ける塗り重ねた様々な色と、殴り書きのような激しい筆致から、目以外の鼻や口などのパーツは描かれていないにも拘らず、怒りのパワフルな感情がほとばしっている。 また、図2(紙、水彩を主とする混合技法、38.2×27cm)[fig.2]も、やはり、明るい色から暗い色へと何色もの色が塗り重ねられている。バックの表面に見える色は、深い緑色。その地に、やはり正面を向いた、肩から上の頭部。しかし、前出の作品のような激しさはない。ぐにゃぐにゃと有機的な黒線で細かく区切られた顔は、それぞれに黄色や赤の色が施されているが、下に透ける色で印象も揺らめき、一つ一つの区切りが動き出しそうである。気持ちがまとまらず、まるで身体じゅうがバラバラになるように、居心地が悪いまま佇む身体だ。ほかの作品も、途方にくれたような風情だったり、叫んでいるようだったり、多彩な表情が観られる。奥に潜められた色と、細かな筆致が、言葉にできない微妙なニュアンスを呼ぶ。 これらの自画像らしき人物像には、時には激しい感情が描かれている。観ていると、普段は穏やかだが、富貴に絵画の感想を言われると自作の絵画のキャンバスを破ることもあったという夫の陽との関係も考えさせられる。二人の生活する時間の中で生まれた感情が富貴の絵の中に描かれ、夫がその絵を受け止めていたという関係性があったことに注目したい。富貴は、自分の感情の揺らぎを客観視でき、それを絵画に示せてしまう存在だった。夫はきっと、富貴の画家としての資質に気付いていただろう。しかし、図録によると、彼女の絵について、夫婦が語っている様子を観た人はいなかったそうだ。※4 だからといって富貴が、夫の活動のために自分を捨てて不幸であったとも言い切れない。多くの人に認められる機会はなかったが、彼女の絵の鑑賞者は居たはずだ。それは、彼女自身である。色を乗せ、感情が絵画の中で表現になり、言葉にならない気持ちが画面に現れる時間が、彼女を支えていたのだろう。絵画には、裏面に制作した日付らしき数字は入っていたという。日付を書くのであれば、題名を書いていてもおかしくない。しかし、題名は無い。絵の描き終りは日付でしっかりと意識しつつ、あえて題名は付けなかったのだろう。言葉で捉えないものが詰まった絵画と、その絵画を家に飾ることで受け止めた夫とが居た。その二人のあり方とともに、富貴の絵が存在し得たのだ。
「油性パステル」と名打ったカテゴリーでは、夫・陽の絵画教室で使われたという油性パステルで制作された絵画が並ぶ。人物像と同様、色が幾層にも重なり、透けて見える。棒のような尖ったもので、パステルを削るようにして描かれた線も効いている。保護材をかけている面といない面があり、光沢や色彩のにじみ具合も美しい。続くのは、「街と鳥」のカテゴリー。富貴が多く描いた、建物と鳥を描いた作品が並ぶ。また「記された数字」というカテゴリーでは、幾つかの作品の裏に書かれていた「1954 1.25」といった日付らしい数字からわかった、連作と思われるものを展示。円などのモチーフや色彩などから、確かに連なりが伺える。続く「油彩への挑戦」では、油絵の具を使い、マチエール等を考慮した作品が連なる。図3(カンヴァスボード、油彩、27.4×22.3cm)[fig.3]等は、厚塗りした油絵具を細かく削ったような絵。削りとるようにして生まれた短い線が画面の隅まで描かれ、意識がめためたと静かに広がっていくようでもある。一見すると感情的に観えるかもしれないが、全体を見れば、そこに構図上の均整が取れていることに気付く。幾何学的なパターンが美しい。 富貴の作品として最後に展示されるのが、「顔の連作」。1959年6月から9月に描かれたもので、油性パステルを使ったカラフルな作品が並ぶ。よく観ていると、描かれているものが顔なのだろうかと疑問に思うものも多い。確かに顔のような大きな楕円で縁取った構図になっているものが多いが、重ねて描かれた線は草や花等の植物や、動物のようなシルエットにも観える。杉村浩哉氏は、富貴の生きていた時代に起きた関東大震災や戦争では多くの「顔」が失われ、その喪失に対する抗いとしての「顔」が描かれていたのではないかと、このセクションを決めたようだ。※5 鑑賞者一人一人が絵に向き合った上で、観る人によって様々な解釈も可能だろう。 展覧会の最後には、富貴の愛猫の写真と、夫や義父の絵画などが展示されている。愛猫の写真は、日記や手紙の遺されていない富貴の唯一の遺品だ。子供が居なかったという関谷夫婦。写真には、黒と白のバイカラーの毛の猫がこちらを向いてお座りしている様子が全面に写っている。写真立ての裏に、富貴による「9年のながき明くれめでたしを いまはなきかとむねのいたみて」と、追悼の歌が貼られていた。古びた白黒の写真と、言葉になった思いから、猫を愛した彼女の生活の時間が感じられ、今まで観てきた絵を描いた女性の存在が改めてしっかりと感じられたのだった。そして、作品を観ながら、様々な思いを想像するうちに、こう思うようになった。題名が無くても絵画は絵画であるように、画家という名前が無くとも、彼女が絵を描き続けていたという事実があれば、それで良いのではないだろうか。
註釈
※1 陽の名について、参考までに記しておきたい。本名は「タカシ」と読むが、サインなどでは「YO」と書いていた。
※2 杉村浩哉編『栃木県立美術館所蔵 関谷富貴 作品目録』(栃木県立美術館、2011年)、p.9参照
※3 展覧会担当学芸員杉村氏の解説にも同じ指摘がある。同上書籍、pp.9-10参照
※4 同上書籍、pp.8-9参照
※5 同上書籍、p.11
参照展覧会
「妻の遺した秘密の絵 関谷富貴の世界」展 会場:栃木県立美術館 期間:2011年4月23日(土)-6月19日(日)
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