展覧会
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執筆: 記事中参照
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公開日: 2011年 6月 28日 |
ハスは泥沼から、穢れ無き花を咲かせる。 その姿から、泥沼を現世、ハスの上を極楽浄土とする考えが生まれた。
今展覧会の作品「今度生まれて来る時も、また」では、鑑賞者の頭上に、ハスの水面葉が湖面に浮かぶように並ぶことにより、現世と来世の境界としての架空の水面を形成し、その向こうに水面からたちあがるハスの花と葉によって、極楽浄土の世界を造りだす。
極楽浄土は、望んだものが簡単に手に入る世界である。 何の苦労もなく互いに分かり合える世界である。
しかし、その世界を「見上げる」とはどういうことなのか。 私たちの立つ、その場所は、水面の下は、つまりどういう場所なのか。 なぜ、理想の地ではなく、この場所に、またわざわざ立たされているのか。
そして、その極楽浄土という理想の地は、一体何が、生み出したのか。
ほとんどの人が、一度は願った世界なのではないだろうか。 一生分かり合えず、ずっと誤解で傷つけあう、現世の人間の希望が生み出した世界。 その希望はつまり、相手を想うが故であり、優しさである。
つまりは、極楽浄土にハスの花を咲かせたのは、泥沼としての、この世界の栄養素。 目に見えないだけで、この世界に形作れないだけで、この世界には、そんな気持ちが溢れている。
「完璧な失われぬ世界」は、全てが揃い、表出し、だがそれ故ただそこにあるだけで、「不完全な壊れゆく世界」は、補完するために潜在的な美をもち、だからこそ美しく。
本多裕紀 http://www.hondayuki.jp/ 1987年 石川県羽咋市出身 2010年 金沢美術工芸大学油画専攻卒業 「純粋経験」をキーワードに、美術を「瞬間的かつ多義的な外界認識の方法」ととらえ、多様な素材で制作活動を行う。現在、金沢市在住。
全文提供: 金沢アートグミ
会期: 2011年7月23日(土)-2011年8月14日(日) 会場: 金沢アートグミ
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最終更新 2011年 7月 23日 |