| EN |

森井健太:Yes, and-
編集部ノート
執筆: 平田 剛志   
公開日: 2011年 6月 23日

画像提供:room A.
Copyright© Kenta Morii

    壁に貼られた現代美術家・吉村熊象に宛てた手紙、森井一人が写された記念写真、立てかけられた蛍光管。ギャラリー内には、拍子抜けするような「作品」が並ぶ。だが、その作品に隠された構造を知ると、目の前の世界が少し前とは異なって見えてくる。
    森井の作品はものや自身の立場を入れ替え、あるいは置き換えることによって、異なる見かたや世界のあり様を現象化する。だが、それらは見た目には何ら変化を生じない。例えば、現代美術家・吉村熊象に「プロ」と「アマチュア」という言葉の使い分けついて手紙で質問したり、外国人になりきって京都の観光名所で日本人に写真を撮ってもらったり、群馬県立近代美術館と会場であるroom A.の蛍光管を入れ換えたりする。だが、記念写真に写っているのは、いつもと変わらない森井自身だろうし、蛍光管は言われなければ、天井を見上げることさえしないだろう。
    その最も顕著な例は、壁掛け時計の単3電池と単4電池を入れ替えた作品だ。見えない位置にある電池の変化を誰が知ろうか。だが、目に見えない変化こそ、本質的に存在を規定する条件ではないだろうか。例えば、日本人というアイデンティティ、時計を動かす電池、プロとアマチュアの認識など、目では捉えきれない国籍や物事の認識、ものが稼働するシステムが移動、変化することによって、私たちの生活や感情に差異や違和感を催させる。
    つまり森井の作品は、異なる環境下で生きることを試みる生存の実験なのだ。ギャラリーを出たあと、時計の電池を変えた時のように、鑑賞者の意識がほんの少し変わる、そんな展覧会だ。

最終更新 2011年 6月 23日
 

関連情報


| EN |