この展覧会は、怖い展覧会だ。少年時代にホラー映画を愛でる一方、京都出身という出自が関係してか仏像に興味を持ち東京藝術大学で彫刻を学び、2003年にはベネチアビエンナーレにも出品した経歴を持つ小谷元彦の個展である。彼の作品は一見おどろおどろしい。幽霊のような姿の彫刻や、イボが繁殖しているようなものを彫った作品、ゾンビ映画を模した映像作品などが並ぶ会場は、お化け屋敷のようですらある。しかし、その一時の恐ろしさで終わらないのがこの展覧会の本当の怖さだ。 今回の展示では、これまでに作家が作ってきた作品がコンセプトにそってまとめられている。展覧会場を廻るうちに、作家が独自の世界観を生み出し、美術史の中にその世界を位置付けていく広い視点が窺えてくる。
展示空間の一番初めに展示されているのは、写真作品《Phantom-Limb》(Cプリント、148×111cm、5枚組、1997年)[fig. 1]。彼の初個展で出された作品だ。※1 白いワンピースを着た少女が手を広げまるで昇天するようなポーズで仰向けになっている。童女の手のひらには潰された赤い小さな果実が握られ、傷口のようだ。ポーズと傷の位置から連想されるのは、磔刑図などに描かれるキリスト像だろう。キリスト教のモチーフに連なるものとして、ほかにもダンテの「神曲」の「地獄篇」さながらの映像インスタレーション《Inferno》(ヴィデオ・インスタレーション、8面同期ハイヴィジョン・ヴィデオ・プロジェクション、 4.1サラウンド・サウンド、556×610cm、5分37秒、サウンド:高嶋啓、制作協力:ステッチ・マックレイ、2008-10年)[fig. 2]※2 なども挙げられるだろう。彫刻作品《Hollow》シリーズ(FRP、ウレタン途料、ミクスト・メディア、2009-10年)の一部にも、マリア像へのオマージュと観られる部分がある。信仰の対象であり、西洋美術史の主要なモチーフとなってきたものが違和感無く作品の中に盛り込まれている点が興味深い。一方で、剥製の狼の口から腕を出す風体のドレス《Human Lesson(Dress 01)》(狼の毛皮、他、166.5×78×30cm、1996年)[fig. 3]は四天王像の着衣※3 を連想させもする。この後にも、東西問わず、美術史の流れを汲む作品が要所に現れてくる。
一方で欧米の現代美術を参照していることを意識させられる作品にも注意したい。例えば、《Dying Slave: Stella》 (スチール、パラフィン、蝋、500×180×220cm、2009-10年)[fig. 4]だ。パラフィン紙に白い蝋を定着させたものを、支柱から放射上に重ねて巨大な髑髏を作った作品である。この支柱は横に倒されており、両端が柱で支えられ、ゆっくり回転していく。
髑髏といえば昔から死の象徴として扱われてきたものだが、昨今ではまた違う意味が読み取られるかもしれない。すぐに思い浮かぶのは、ダミアン・ハーストの《For the Love of God》という作品である。プラチナ製の土台に8601個のダイアモンドを散りばめた髑髏で、2007年のオークションで5000万ポンド(約115億円)という現代美術史上一番の値段がつけられた作品である。様々なプロデュースによって作品の値段を高騰させてきた作家の販売プロセス自体にも注目が集り、現代美術の中で記録すべき現象となった。ハースト以後の「髑髏」は、新しい意味を持つイコンとなっているのかもしれない。 ハーストが使ったダイアモンドはギリシア語のadamas(征服できない、懐かない)が語源と言われる、一方、小谷の本作品はミケランジェロの《瀕死の奴隷》(1513~15)からタイトルを取ったそうで、弱く服従する存在である。弄ばれるようにぐるりと回される本作品の頭蓋骨も、ダイアモンドと同じ炭素の成分でできている。髑髏の存在の大きさに圧倒されるが、回転と同時にはらはらと動く今にも壊れそうな蝋で作られた骸骨は、肥大した虚勢のようにも見えてくる。同じ名前のシリーズでは全く髑髏と関係の無い映像作品などもあるので作者の真意はわからないが、そう思うと本作が、ハーストすら征服してしまうとか、美術作品の値段の付け方を揶揄するといった風にも見えてくるから面白い。※4
続いて展覧会場を進んでいくと、観えてくるのは小谷独特の世界である。例えば、彫刻作品《Skelton》(FRP、他 390×55cm、2003年)[fig. 5]。白い気泡状のイボのようなものが縦にむくむくと増殖していくように連なる本作は、台の上に立つのではなく、上から吊るされている。重みと同時に不思議な浮遊感があり、興味深い。次の展示室では、架空の生き物の骨格を模したような造形などが並び、やはり小谷独特の世界観が続く。この間、映像作品なども挟まれ、多様なアプローチが鑑賞者を飽きさせない。
しかし、その後に観えてくる世界に見えてくるのは、再び歴史の流れを意識させる作品だ。明るい照明の浮遊感のある展示空間から、既に展示室がうす暗くなっている。この暗闇に、過去の彫刻へのオマージュとも取れる台座のある作品像が並ぶ[fig. 6]。ここで鑑賞者はきっと、彼がどのように日本の彫刻史を捉えているのかを知るのだ。例えば《SP4: The Spectator -What wanders around in every mind》(2009)[fig. 7]、《SP4: The Spectator -Arabesque woman with a heart》[fig. 8]は、明治時代に作られた騎馬像が朽ちてミイラ化したような造形である。明治時代の日本は、文明開化を受け、西洋ではローマ時代から作られてきた《マルクス・アウレリウス帝騎馬像》(ローマ・カンピドリオ広場)などの騎馬像をお手本とした「西洋文明としての彫刻」を美術専門の大学で学科を作ることから始めた。その歴史を踏まえた作品だろう。
作者は「SP4」と名のつくシリーズを展開しており、このシリーズを「死んでいるのに生きながらえているゾンビのような分野としての、日本近代彫刻の再解釈として制作されたもの」としている。※5 ここで彼が「ゾンビ」という言葉を使っている点が興味深い。動かないミイラではなく、死を装いながら生き続けているゾンビというのが重要なのだろう。西洋文化を受け入れる中で生まれた具象の騎馬像の「彫刻」は、いつも立ち返らねばならない存在であり、しかし立ち返ったところで外からの文化でもある。団体展等にある作品は形骸化しているものもあり、現在では抽象的な作品も多い。それでも、美大に入って初めに習うのは人体像である。ゾンビの怖さは、今まで自分と同じだと思っていた存在が急に異世界の住人になるというところだろうか。小谷は「SP4シリーズ」で台座に乗った騎馬像や女性裸像のようなものを作っている。また、同列に並べられた《I see all》(木、岩絵具、他、436×115×125cm、2010年)[fig. 9]は仏像のような像だ。これらはすでに現在と切り離した「過去」の産物として捉えられている。それまでに観てきた小谷の浮遊感を持った彫刻と対照的に、ここでの彫刻作品はどっしりとした台座の上に鎮座していた。この展示室最後に置かれる《I see all》は、木を模した台が鑑賞者の身長より高く聳えている。
しかし最後の展示室に進むと、観客は鮮烈な対比に遭遇することになるだろう。展示されている《Hollow》シリーズ(FRP、ウレタン途料、ミクスト・メディア、2009-10年)[fig. 10]は、湾曲した薄いプラスチック製の板が重なり、女性の頭部や腕などの形を成す。前出の《Skelton》を思い起こし、今まで観てきた展示品のフラッシュバックが起きる。これらも、女性の騎馬像である1点以外は天井から吊るされたり、壁から突き出たりするようにして台座から解放され、浮遊感を持つように設置されているのだ。一筋の煙のようなプラスチックの膜の集りは、吊るされて重量が無いようだ。それでも、しっかりと塊(かたまり)としては存在しているのが面白い。人体モチーフの回りには、具体的なモチーフ以外に空気の流れのようなものも飛び、物その物を写しとるだけではなく、気配そのものを物として見せているといえるだろう。昔から作られてきた彫刻のモチーフが、浮遊感によって新しい存在になっている。前室との対比を見た時、初めて小谷が彫刻史を踏まえた上で新しい流れを生み出そうとしていた点に気付かされる。浮遊しているような《Skelton》や《Hollow》シリーズは、歴史の先端に行こうとする、彫刻の新たな像なのかも知れない。
展覧会の出品作については、作家の方向性を決めるきっかけとなった学生時代の作品《無題》や、ベネチアビエンナーレ出品作の《Berenice》などが出ていない点などが少々気になったが、作家の全体像を知る上で興味深い内容になっている。「美術」という制度を確立しようとしながら、まだ美術館が機能していなかった明治時代初期に展覧会が見世物として開かれていたことを思い出すように、展示物を観て「怖い」なんて言いながら展覧会場を回るのも面白い。小谷の作品から、つかめないものが見えてくる怖さを味わえるだろう。
脚注
※1 「ファントム・リム」展、1997年にP-House(東京)にて開催。 ちなみに、「Phantom Limb」(ファントム・リム/幻影肢)とは、腕や足が切断された後もその箇所に痛みや痒みを覚える現象のことだ。例として、戦場で手足を失った兵士がその部分の感覚をもち続けるという症例が挙げられる。
※2 2001年の作品《9th ROOM》(ヴィデオ・インスタレーション、DVD4枚、DVDデッキ4台、スクリーン4枚、鏡、スピーカー4台、他、320×320×320cm、5分16秒、サウンド・高嶋啓)の発展型とも言える作品。大きな美術史の流れとともに、小谷自身が自らの過去作をも意識している点も記しておきたい。
※3 本展図録p.38に、本作品の参考画像として東大寺戒壇院四天王増長天立像が掲載されている。
※4 髑髏は死の象徴でもあり、素材に蝋が使われている点などから、「死蝋」にも繋がるイメージかも知れない。死蝋とは、死体が腐敗を免れ、死体全体が蝋状、チーズ状になったもの。魔術に用いられる「ハンズ・オブ・グローリー(栄光の手)」は死刑になった罪人の腕を切り落として死蝋化させた物で、儀式における蝋燭代わりや、加護をもたらす護符として使用された。ファントム・リム(幻影肢)にも繋がるようで興味深い。
※5 本展覧会図録p.106 引用。また、同図録中、毛利義嗣氏によると、「日本の近代彫刻は欧米の強い影響を受けて形作られたが、小谷によればその矛盾を抱えた人体表現の暗雲を暴くことを目的に制作した」(p.116)ともある。
参照展覧会
「小谷元彦:幽体の知覚」 会場:森美術館 期間:2010年11月27日~2011年2月27日(後、静岡県立美術館、高松市美術館、熊本市現代美術館へ巡回)
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