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宮永愛子:景色のはじまり-金木犀-
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2011年 3月 29日

Copyright© Aiko Miyanaga/Courtesy Mizuma Art Gallery

世界が一変する大事件が起こりました。
時間も、空間も、歴史さえも断絶されるように感じる大震災です。
放射能汚染も見えない距離を縮め、世界の、地球の問題になろうとしています。
日本はこれからどこへ向かいどうなってしまうのか。水際の恐ろしさに不安が募ります。
それでも私たちの世界は休むことなく動いている。
自分の足で歩いてみると、止まらない時間の中、日常と非日常が交差していることに気づきます。

私がこの震災を知ったのは、一緒に制作中のメンバーにかかってきた一本の電話からです。
彼から伝え聞いた速報は、翌日には大震災へと変わり、知らないところで世界は一変していました。
情報を逃さないようにと、制作にはラジオが必須となりました。痛み苦しみ悲しみ怒り不安・・・流れる情報に消化しきれない気持ちをまとい、作品制作と向き合うことになりました。
淡々とした、膨大な作業に没頭する時間は、不安からの逃避とも救いへの祈りともつかないものでした。
完成に向かわなければならないという意志と不安定に揺れる気持ちの横で、ラジオもまた延々と安否情報を伝え、震災情報は今も流れ続けています。

あるときから安否情報の合間に音楽が一曲流れるようになりました。
今では時々リクエストの曲とリスナーが被災地を励ますメッセージを送っています。
ここまで時間が流れてやっと、「作品を完成へと繋いでいくことは、今日と明日を繋ぐ大切な日常なのだ」と思えるようになってきました。
そうしてはじめて、この「景色のはじまり」という作品が見えてきたように感じています。
豊かさの中で、いつの間にか当たり前で確かだと思い込んでいた景色は、もうありません。
それぞれが、ここからはじまる景色と向き合わなければならないのです。
今はまだ沢山の人が、悲しみと不安に進むべき方向も見えない状況でしょう。
でも、ここから前を向いていこうとした時、ふっと遠くの景色が浮かぶような、懐かしい景色を思い出す瞬間に出会えるような、そういう仕事を私はしたいです。
今、それぞれの生活の場所からやってきた庭木の葉をつないでいます。
一枚の葉が、今まで誰かの庭を彩り息づいていた時の地図だと思うと、その一枚一枚の地図を繋ぐ作業は、それぞれの景色を結ぶ作業であり、また人と人とを繋いでいく作業でもあるのだと思います。
毎日少しずつ大きくなるこの小さな景色は、世界の綾を織り込み、重ねるように広がっています。

―景色はこの足元からどこまでも繋がっている。
遠い景色、これから生まれる新しい景色、隣に今まであったそれぞれの見慣れた景色へも。

-2011年3月28日 宮永愛子

※全文提供: ミヅマアートギャラリー


会期: 2011年4月21日(木)-2011年5月28日(土)
会場: ミヅマアートギャラリー

最終更新 2011年 4月 21日
 

編集部ノート    執筆:田中 みずき


Copyright© Aiko Miyanaga/Courtesy Mizuma Art Gallery

    圧巻は展覧会表題作の「景色のはじまり」だろう。六万枚の金木犀の葉っぱがつながり、大きな一枚の布のようになっている。これが天井からテントのようにつるされ、鑑賞者は布の下にできた空間に入ることもできる。葉は白色に色が抜かれ、葉脈だけ。秋に咲く、金木犀の芳醇な香りのオレンジの花の記憶と、見逃していた葉っぱの存在、そしてその葉が骨のようになった時間の流れが渾然となって押し寄せてくる。また、たんすの中に葉を詰め込んだ「はじまりの棲みか―地図―」では、作品制作時の音が流れ、目前の葉が朽ちていく長い時間と、制作の瞬間にだけ流れていた過去の音と、観賞している現在という三つの時間が表れてくる。時とともに消えるナフタリンで靴などを象った作品で注目を浴びた宮永の最新作は、視覚だけではなく五感で時を感じさせるものへと変化している。そのほか、ドローイングや焼き物なども展示され、作者の世界が伝わってくる。


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