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奥村里菜:tracing
編集部ノート
執筆: 平田 剛志   
公開日: 2011年 3月 18日

画像提供:Port Gallery T
Copyright © Rina Okumura

    古代フリュギアの首都ゴルディウムに、複雑にからませられたゴルディウスの結び目と呼ばれる逸話がある。この結び目はこれまでだれも解いたものがなく、この結び目を解く者は大きな成功と名声を得ると伝えられていた。マケドニアのアレクサンダーはこれを聞き、その場所を訪れ、結び目を眺めた。しばし後、アレクサンダーは剣を抜き、結び目を真ん中で断ち切った。思いもよらなかった結び目の「解き方」に、アレクサンダー率いる兵士たちは彼を誉めたたえたという。
    この逸話に対し、ドイツの詩人・小説家のエーリッヒ・ケストナーは、「結び目は断ち切るもんじゃない!」と母はきびしい調子で言ったでしょう」と書く。なぜなら「ひもはいつだって役に立つ」からだという。

    奥村里菜による本展は、「ゴルディウスの逸話」のように、こんがらがった結び目をどのように解くかの試みのように思える。
    例えば、1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の際、神戸新聞社に送られた酒鬼薔薇の声明文をトレーシングペーパーにトレースした《tracing, tracing, tracing》(2010-2011)がある。本年2月に行われた京都市立芸術大学の卒業・修了展での展示では、吹き抜けの会場の中、何百枚もトレースされた赤い文字の連なりが荘厳な空気感を漂わせていたことを記憶している。
    この作品のモチーフとなる「声明文」は、社会性、事件性が物議を呼び起こすかもしれない。だが、奥村は事件のスキャンダル性や社会性を喚起させるために制作したのではないだろう。奥村が試みようとしているのは、こんがらがったひもを1本ずつ解きほぐすように、書かれた言葉の痕跡を視覚化する試みではないだろうか。
    さらに、着なくなった青い服から糸を引き抜き、ばらばらになった布地ごとにハンガーで吊るした《既に無数の穴をたずえさていた》(2011年、衣服、ハンガー、洗濯ばさみ、糸)が会場中央に展示されている。この作品では、布地に縫い込まれていた糸が解きほぐされたことで見える無数の穴が、1つの服を成り立たせていたつながりを想起させる。卒業・修了展では見えづらかった《tracing, tracing, tracing》の言葉の裏に隠された「糸(意図)」が見えてくる。

    近隣の国立国際美術館で本展と同時期に始まった『風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから』展とともに、コンセプチュアル・アートの現在形を見ることができる展覧会である。

最終更新 2011年 3月 22日
 

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