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THE LIBRARY+この場所で
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2010年 2月 05日

fig. 1 原田さやか《血縁》2009年 画像提供:静岡アートギャラリー

fig. 2 ピコピコ《怪獣図書館》2009年 画像提供:静岡アートギャラリー

fig. 3 内海聖史《三千世界》2009年 画像提供:静岡アートギャラリー

fig. 4 ワタリドリ計画(麻生知子・武内明子) 《ワタリドリ旅の絵はがき ~日本全国売り歩き~》2009年 画像提供:静岡アートギャラリー

    巡回先としていくつもの美術館名が連なっている大型展を見るたび、この展覧会を今・ここで開催される必然性は何かと考えてしまう。私は毎年のように、国内であれば寺社仏閣から、海外であれば著名美術館から公開の許された名宝の数々を、現地を訪れるより遥かに容易に見ることができる。苦労といえば、場合によっては大行列に数十分から数時間並び、館内に入った後も人混みでまともな鑑賞ができないくらいだ。芸術もいつの間にかポータブルになったものである。
    芸術以外にも、携帯電話にノートパソコン、携帯型ゲーム機などポータブルで便利なものは私たちの身の回りに溢れている。けれども「ポータブル」なものを考えたとき、その代表は「本」ではあるまいか。手書きであれ、印刷物であれ、文字やビジュアルが印刷された紙の束は、その利便性の高さからネット時代の今も結局絶滅することなく生き残っている。大きな本でなければ鞄等に入れて持ち運べ、自身の所有物であれば線を引いたり、書き込んだり、切り取ることも自由である。本こそポータブルな存在として、その複製性によって多くの人の元に情報を届けることを発生の段階から目指していたのではないか。つまり、唯一性を至高のものとする芸術と、複数性にこそアイデンティティを認めることができる本は、流通数から考えれば正反対である。ある本が一冊しか存在せず、特定の場所でしか見ることができなかったならばどんなに不便だろう。だが、時にはそのような体験も悪くない。

    12年の活動に終止符を打った静岡アートギャラリー最後の展覧会は、この世に一つしかない本を招待作家と公募作家を交え全国の作家に制作してもらい展示する「THE LIBRARY「本」になった美術」(ゲストキュレーター:篠原誠司)と、静岡ゆかりの作家の展示を行なう「この場所で—終わりと始まりをつなぐ、しずおか—」だった。
    本というポータブルで複製性に優れたメディアは、しかし今回はたった一点しか存在せず、「この場所で」しか読むことができない。46名45組による本は、オーソドックスな本の形態に準じながら各自の作品世界が封じ込まれているものもあれば、本のイメージから想像を膨らませているものの、もはや一般的な本とは言い難いブック・オブジェと形容したいものもある。
    たとえば原田さやかによる《血縁》[fig. 1]は前者であり、作者自身とその血縁関係にある人たちのモノクロの写真が、氏名、続柄、生年月日とともにページ毎に掲載されている。私たちはページを繰る中で、そこに掲載されている人たちが作家にとっては近しいが、私たちにとってはそうではないにもかかわらず、まるで私たちにとっても近しい人たちのように見えてくるだろう。次第に自分の家系にも思いを巡らせるこの本は、まさしくこの世に一冊しか存在しないからこその親密さをもって私たちに迫ってくる。後者について言えば、ピコピコによる《怪獣図書館》[fig. 2]はその好例だろうか。顔の部分が本を開いたかたちになっている、両手を広げて立つ二本足の怪獣は、背中の部分に作者の創作による百体の怪獣を収めた「怪獣図鑑」なるA7版の書物が収められているものの、見た目はまったくの怪獣人形にほかならない。その他、ドットを用いた絵画作品で知られる内海聖史の、自身が取り組んできた絵画シリーズを折本の形態で再構成を試みた《三千世界》[fig. 3]は、本の形態を用いながらもそのミニマムな佇まいから小さなオブジェとも言って差し支えない。7×7cmのページ中に4×4mmの大きさの絵画を6×6列で三十六個配置しており、総計180頁、掲載されている作品点数は6480点にも上る。手に取り本を広げれば、そこには濃密な世界が広がっている。
    「この場所で」しか読めない本を一通り手に取ると、その先で展開しているのが「この場所で」展だ。出品作家は石上和弘、稲垣立男、乾久子、本原玲子、ワタリドリ計画の五組だが、とりわけ注目したいのがワタリドリ計画の作品である[fig. 4]。麻生知子と武内明子によるワタリドリ計画は、渡り鳥のごとく展示場所と題材を求め、日本全国訪れる先々で作品を制作し、二人展を行なっているユニットだ。各地では油絵やインスタレーションの発表に加え、現地で撮影したモノクロ写真に油絵具で手彩色し、「旅の絵はがき」として販売するなどしている。今回の展示では静岡を含む各地で制作した作品の他、展覧会会期中の11月22日、23日には「ストリートフェスティバル・イン・シズオカ」で絵はがき屋を出店。来店した客を撮影、その場で手彩色で制作した絵はがきも展示した。作家個人で完結せず、制作の段階から特定の土地や人と結びつくこのような作品には、だからこその作家の身体経験が詰まっているように見受けられる。各地を旅しているからこそのワタリドリ計画の作品の軽やかさは出色である。

    交通網の発達した今、私たちはそれらが本来所蔵されている特定の場所を訪れずとも、国宝の仏像や海外の美術館でコレクションされている著名な芸術家のオリジナルを国内の特別展で見ることもできる。だから遠方で開催されている良質な展覧会を知ると、巡回しないものかとつい思ってしまう。
    しかし、芸術とはそもそも特定の土地に根ざしたものではなかったか。そう言うにはあまりに現代は便利に過ぎるが、特定の場所だからこそ味わうことのできる芸術の姿もやはりある。本展の潔さは「この場所」の力を信じたことである。その思いは、2010年秋にオープンする静岡市美術館にも繋がっていくのだろう。


参照展覧会

展覧会名: THE LIBRARY+この場所で
会期: 2009年10月24日~2009年12月20日
会場: 静岡アートギャラリー

最終更新 2010年 7月 04日
 

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