なかもと真生:都市論 |
展覧会 |
執筆: カロンズネット編集 |
公開日: 2011年 1月 23日 |
なかもと真生は、シルバーの単色をペイントした大量の廃棄物を空間に配置することで、空間全体を表現の媒体としている。廃棄物に取り囲まれた空間は、近未来的なクールさを感じさせながらも、素材はゴミとなった電化製品や、解体現場から出た木くず、鉄くずなどであるというロジカルさが興味深い。1950年代に起ったジャンク・アートやアッサンブラージュのごとくに、大量消費社会への洞察や批判を含みながらも、さらには人間の栄枯盛衰の様を露呈する表現であると感じる。なかもとは、瀬戸内のコンビナートを見て育ち、高度成長期以後のある種疲弊した時代の空気を感じ取ってきた世代だ。物が溢れ使い捨ての時代となり、物質至上主義となった現代社会をどのように切り取り、何を感じさせてくれるのか楽しみである。 今展はギャラリー内に幅約9.3m×奥行7.2m×高さ0.9mの台座を設置し、その上にびっしりと廃棄物を敷き詰めるという、大掛かりな暗室での空間展示となります。故郷である新居浜市、そして日進市内の風景をモチーフにした構想プランのドローイングと、そのドローイングを元に制作した新作の版画作品もあわせて展示致します。 【作家コメント】 液体など展示条件的に使用できないもの以外は、どんなものでも収集の対象となる。つまり「廃棄された」という共通点があれば、世の中の既製品が全て材料となる可能性があるということになる。 私は、私が廃棄物を収集し続ける理由を、もの自体ではなく、物質を覆う“廃れ”に着眼しているからであると自己分析する。なぜ“ 廃れ”に目がいくかということについては、私が昭和58年に生まれてから平成14年までの18年間を、愛媛県新居浜市で生まれ育ったことに由来すると思索している。 新居浜市は四国屈指の工都として、別子銅山を中心に日本の近代化~高度成長期に寄与したが、高度経済成長の終焉と同時に銅山が閉山。その影響で私が新居浜在住時に住んでいた、住友系列の社宅の前には、銅山の鉱石輸送において重要な役割を果たしていた、住友金属鉱山下部鉄道の駅舎跡や、駅に運び込まれた鉱石を選鉱する新居浜選鉱場があり、こういった歴史の跡が日常のいたるところに存在した。 さらに市の人口は昭和56年から現在に至るまで減少傾向にあり、私の幼少期には、昭和に栄えた商店街などはのきなみ「シャッター通り」となりつつあった。こういったいささか疲弊した街で育ったからこそ“廃れ”に対して郷愁すら感じてしまうような感性が育ったのだと思う。 また“ 廃れ”以外に作品の成立において、“整頓する”という行為も重要になる。現在の手法で制作し始めたばかりの時、ある鑑賞者に「作品が工業都市のように見える」と言われたことがある。もともとそういった狙いで制作していたわけではなかったのだが、その時に「都市の中から拾った廃棄物を整頓することで、都市を見出す」という行為が自身にとって重要であることに気付き、それ以来ライフワークとなった。 抽象的な言語表現になるが、私は生まれ育った新居浜市についての印象を、「記憶している」というよりも「イメージが体に堆積している」ように感じている(前回の倉敷での展示では、現地の廃棄物業者に依頼し、倉敷市内から収集した廃棄物を使用したが、今回は新居浜市の廃棄物を使用することで、よりダイレクトにイメージへアプローチすることを意図した)。 イメージを記録して、堆積させる媒介として機能している体。それによって感覚の細部に根付いている都市の時間、風景。それは個人のアイデンティティーの成立にとって重要であることもちろん、個人の枠を超え、高度成長期の終焉から、現代に至るまでの時代の移り変わりが、どのような影響を私たち日本人に与えたかを明らかにするための『都市論』となる。 なかもと真生 Nakamoto Masaki ■ 主な個展/インスタレーション展示 ■ 主なグループ展 ※全文提供: ギャラリーM 会期: 2011年1月16日(日)-2011年3月6日(日) |
最終更新 2011年 1月 16日 |