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金氏徹平:溶け出す都市、空白の森
レビュー
執筆: 平田 剛志   
公開日: 2009年 5月 05日

≪White Discharge(建物のようにつみあげたもの #4)≫2009年|プラスティック製品、木製品、鉄製品、ゴム製品、顔料、樹脂|87×87×h.201cm
Photo: eric|画像提供:横浜美術館
Copyright © Teppei KANEUJ

≪Tower≫2008年|インク、コラージュ、紙|73×51cm
Photo: Takashi Arai|画像提供:横浜美術館
Copyright © Teppei KANEUJI

≪Teenage Fan Club #13≫2008年|プラスティックフィギュア、ホットグルー|10.5×7.5×h.19cm
Photo:eric|画像提供:横浜美術館
Copyright © Teppei KANEUJI

    プラスティック製品が柱のように積み上げられ、上から白い樹脂が滴り落ちるタワー「彫刻」、切り抜いた白地図の線が壁一面に延び広がる「絵画」、フィギュアから髪のパーツだけを切り取り組み合わせた未知の生命体。これは、金氏徹平の作品である。金氏は雑誌や本からの切り抜きを貼り合わせるコラージュやプラスティック製品や木材など異質なものを組み合わせるブリコラージュという技法により私たちが知っているものを未知のものへと組み替えてしまう。

    子どもの頃、おもちゃを部屋中に散らかして遊んだことはないだろうか。大好きなオモチャやオモチャに見立てた「もの」を子どもなりの感覚で分解、集合、配置、構築、組替、破壊、再生し遊んだことが。だが、こんなにも好きなもので溢れかえっているはずなのに、ひとしきり時間がたった後、私の心に空虚な感情が湧いてくるのだ。

「こんなに部屋を散らかしてしまった!早く片付けなければ…」

それから、急いで片付けをしようと撤収作業に入り、突如出現したインスタレーションは跡形もなく消え去った。

    「オモチャ箱を引っくり返したような」という形容があてはまる金氏の作品を見ていると、幼少の頃のそんな記憶が思い出され、私は緊張してしまう。床にコーヒーの染みがついた紙はあるし、石膏が入ったバケツが何十個もあるし、親が来る前に片付けないと怒られてしまうのではないかという焦りのようなものが私を襲うのだ。別に私の親や金氏の両親が来て、片付けなさいと言うわけではない。なにか空間内にものをたくさん並べてしまうことに、空間を占領する恐れのような感覚を抱かせるのだ。もしかすると、誰しもが持っているかもしれないこの感覚は、空間を占有することへの恐怖と快感へつながっているのかもしれない。

    空間の占有という点で、金氏は横浜美術館の空間を自分の「もの」にしてしまった。ものというのは、生活をしていると自然に増えるもので、部屋の中はもので溢れていく。その「もの」の増殖は、私たちの子どもの頃に躾けられた「掃除をする」という圧力を思い出させ、後ろめたい感情を想起させるのだ。だが、部屋がこのまま「もの」で増えていくことに恐怖と安心という相反する感情を想起させるように、感情のベクトルは時に逆のベクトルを向いてしまう。金氏の作品は、散らかっていると見えながら、何か秩序だっていて、人の部屋に入った時に置いてあるものに反応してしまうような、ものとの邂逅を設定させるのだ。

     そう、この無秩序とも言える世界はどこか懐かしく、見覚えがある。子どもの頃の「もの」で溢れ出させたあの「過去」を。あの片付けたいような、そのままにしておきたいような、そんな相反する感情を。しかし、あの時と同じく金氏の作品もまた、展覧会が終われば片付けられてしまうだろう。その事実を前に私の心にはまた空虚な感情が湧いてくるのだった。


参照展覧会

展覧会名: 金氏徹平:溶け出す都市、空白の森
会期: 2009年3月20日~2009年5月27日
会場: 横浜美術館

最終更新 2011年 1月 25日
 

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