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比嘉康雄:母たちの神
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2010年 12月 01日

《久高島、フバワクの祭り》1975年
※フバワク:久高島の年中行事の一つ。お祓い、健康祈願。
画像提供:IZU PHOTO MUSEUM

琉球弧から
母たちと神々の饗宴

比嘉康雄(ひが・やすお)は、沖縄を代表する写真家の一人であると共に、民俗学の分野でも大きな功績を残した人物です。比嘉は1968年の嘉手納空軍基地でのB52爆撃機墜落事故をきっかけに警察官を辞め、写真家になることを選びました。ベトナム戦争や日本への「復帰」に揺れた激動期の沖縄を象徴する写真家だといえます。

撮影の仕事で訪れた宮古島で出会った祭祀に衝撃を受け、沖縄文化の古層に惹きつけられていった比嘉は、「神の島」と呼ばれる久高島をはじめ、南は八重山諸島から北は奄美諸島に至る琉球弧の島々に関する膨大な記録を残すことになります。2000年に亡くなるまで、失われつつあった祭祀とそれを行う女性(母)たちの威厳に満ちた姿を丹念にカメラにおさめながら、琉球弧の精神文化の祖型を探っていきました。写真に写されたのは世界にあまり類を見ない女神信仰の祭祀であり、中には男子禁制の秘祭も多くあります。本展では、生前に比嘉の手で編まれたものの、未刊に終わった写真集「母たちの神」から全162点を紹介いたします。祖霊信仰、自然信仰に基づいた村落ごとの祭祀の多くはすでに変容し、途絶えてしまったものも少なくありませんが、残された写真は琉球弧の神々の豊穣な世界を現在に伝えてくれます。

人々は、魂の不滅を信じ、魂の帰る場所、そして再生する場所を海の彼方のニラーハラー※に想定し、そこから守護力をもって島の聖域にたちかえる母神の存在に守護をたのんでいる。この 「母たちの神」 は、〈生む〉 〈育てる〉 〈守る〉という母性の有り様の中で形成された、つまり内発的、自然的で、生命に対する慈しみがベースになっている〈やさしい神〉である。(中略)
この母性原理の文化は、父性原理の文化がとどまることを知らず直進を続けて、破局の危うさを露呈している現代を考える大切な手がかりになるであろう

※「ニライカナイ」と同義。海の彼方にあると信じられている他界で、神の在所。 比嘉康雄著『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』より

比嘉康雄(ひが・やすお)
1938年フィリピンに生まれ、敗戦後沖縄に引き揚げる。58年コザ高校卒業後、嘉手納警察署に配属。鑑識の写真係としてカメラを手にする。1968年の米軍機墜落事故を転機に退職。東京写真専門学校に学び、71年卒業と同時に写真展「生まれ島 沖縄」開催。74年民俗学者の谷川健一にカメラマンとして同行し、宮古島の祖神祭(ウヤガン)に衝撃を受ける。75年神女西銘シズとの出会いを契機に久高島に100回以上通い、年中祭祀を記録することになる。76年「おんな・神・まつり」で太陽賞。93年『神々の古層』シリーズにより日本写真協会年度賞 、沖縄タイムス出版文化賞等を受賞。2000年逝去。2001年比嘉康雄回顧展「光と風と神々の世界」(那覇市民ギャラリー)開催。著書に『神々の島—沖縄久高島のまつり』(共著者・谷川健一、平凡社、1979年)、『琉球弧—女たちの祭』(共著者・谷川健一、朝日新聞社、1980年)、『日本の聖域(7)沖縄の聖なる島々』(共著者・湧上元雄、佼正出版社、1982年)、『生まれ島・沖縄—アメリカ世から日本世—』(ニライ社、1992年)、『神々の古層』(全12巻、ニライ社、1989-1993年)、『日本人の魂の原郷—沖縄久高島』(集英社、2000年)。

トークイベント
■2011年1月23日(日)
比嘉豊光(写真家)× 高良勉(詩人)× 翁長直樹(沖縄県立博物館・美術館副館長)× 小原真史(IZU PHOTO MUSEUM研究員)

■2011年3月27日(日)(予定)
仲里効(批評家)× 小原真史

■週末に学芸員によるギャラリートークを予定しております。

全文提供: IZU PHOTO MUSEUM


会期: 2011年1月23日(日)-2011年5月31日(火)

最終更新 2011年 1月 23日
 

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