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岡村桂三郎 展 
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2008年 11月 27日

    岡村桂三郎(1958年生まれ)について語ることの困難さがあるとすれば、それはその作品の持つ圧倒的な質量をおいて他にないだろう。
    たとえば図録に収録されているフラットに配置され写された作品から、ようやくその全体像を確認したのはわたしだけではないに違いない。神奈川県立近代美術館 鎌倉での実際の展示は、床に直置きされた屏風状の作品の天井に届くほどの高さもさることながら、あらゆる曲面が緩急の差はあるものの折れ曲っていたために、そこから作品の全貌を俯瞰し、そのモチーフを知ることはほとんど不可能だった。美術館やギャラリーでなされる通常の意味での観賞はまったくできず、まずなにより、平静を保つことができなかった。これは展覧会を見た人間にしか実感のできないことだろうが、展示室の中がどうなっているか知らないままに受付でチケットを切ってもらい、そしてそのドアを開けた途端に視界に入ってくる世界ののしかかるような重さは、日常的に想像しえるスケールの範囲を大きく超えていた。
    その理由の一つに、決して広いとは言えない空間にサイズの大きい作品がいくつも並べられていたことが挙げられるだろう。第一展示室について言えば、最も大きいもので縦3.5メートル×横14.4メートル※1、小さいものでも縦2.15メートル×横7.2メートル※2。しかも作品は各部が折り曲げられているために、細長い展示室の幅はその分押し狭められている。全体を見渡すことなどできず、かといって細部に目を凝らしディテールを楽しむといった作品ではない。できたことはと言えばその中を時折立ち止まりながら、ただ歩き回ることだった。それは子供の頃、近所の山を鳥や林のざわめきを背にいくばくかの恐怖を感じながらも歩き回った経験をわたしに思い出させた。作品はインスタレーションと言っていいほどに空間を支配し、観客を否応無しにその世界へ投げ入れた。

「岡村桂三郎展」展示風景より。写真提供:神奈川県立近代美術館 鎌倉|© 2008 OKAMURA Keizaburo

「岡村桂三郎展」展示風景より。写真提供:神奈川県立近代美術館 鎌倉|© 2008 OKAMURA Keizaburo

    こう書くと、では大きさだけが問題なのか、ということになるが、もちろんそれだけではない。言うまでもなく何も描かれていないただのパネルであっては意味がなく、岡村の作品はその手法がどうであれ絵であることで成立している。そこでもう一つの理由として挙げられるのは、一つ一つの作品に費やされた手数の多さである。ある作品がどれだけの時間をかけて作られたかということは、制作を経験したことのあるものでなければ見当がつきづらい。しかも岡村がパネルの両面を一度焼き、炭化した部分を洗い流してその上にドウサを塗り、さらに膠を塗り…というとても一言では言えない複雑な過程を経て下地を作り、その後スクレーパーで削るように描くという特殊な方法をとっていればなおさらである。そもそも多くの時間がかけられていれば作品が優れているかというとそういうわけではなく、作品を鑑賞するにあたりそれは基本的に関係ないのだが、それでも描き込みの量が一定の量を超えたときに現れる世界というのがある。現れてしまう世界と言ってもいいだろうか。今回展示されていた19作品のモチーフは象・獅子・鳥・兎に加えて想像や伝説上の生物である龍・鯤(魚)・迦楼羅と様々だが、そのほとんどには鱗のような描き込みが認められ、それが繰り返されることで印象づけられるイメージは強烈である。その反復性と増殖性は、作品自体の趣向はまったく違うものの例として挙げれば、伊藤若冲や草間彌生の作品の多くに描き込まれているドットと共通すると言ってもいいかもしれない。鱗ほどではないものの所々に描かれている目についても同様である。目がたとえ一つでもこちらに投げかけてくる眼差しの強さと、繰り返されることで意味をなしそれ単体では主張がない鱗は対照的で、その明らかな差異が下地の黒も相成って絶妙なバランスを生み出している。わたしは先ほど「細部に目を凝らしディテールを楽しむといった作品ではない」と書いたが、それは細部に対する位置づけの低さを意味しない。むしろ逆であり、こういった細部の集積としての全体にわたしは惹かれている。

    さて、今回わたしは特定の作品への言及をせず展覧会全体としての印象を書き、そして今、それで終わろうとしている。言うまでもなく個々の作品はモチーフや構図・サイズ等の違いから判別可能であり、それぞれ突き詰めて分析しようと思えばできようが、今回はそうしたことをしたくなかったというのがその理由である。今回の展覧会について言えば、個々の作品を論じようとすればするほど、それだけ展覧会を見た印象と乖離していくように感じられた。それはすでに書いたように、岡村の作品に描き込まれている鱗が反復され増殖していく中で一つの形に収束していく過程と似ている。個々の作品の集積が、一つの大きなうねりとなって会場全体を覆い尽くす。その光景を、わたしは片鱗でも書き出したかった。

脚注
※1
《迦楼羅と龍王08-1》2008年、岩絵具・板、350×1440×9cm、個人蔵/dd>
※2
《北冥の魚08-1》2008年、岩絵具・板、215×720×9cm、個人蔵

参照展覧会

展覧会名: 岡村桂三郎 展
会期: 2008年9月13日~2008年11月24日
会場: 神奈川県立近代美術館 鎌倉館

最終更新 2015年 10月 20日
 

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