モディリアーニのカリアティッド |
レビュー |
執筆: 瀧口 美香 |
公開日: 2008年 9月 23日 |
展覧会場の最後のひと部屋に、4人の女の肖像が横並びの一列で、壁面に架けられていた。一見、どの肖像も同じように見える。4人揃って黒い服を着て、首が長くなで肩で、瞳孔が塗りつぶされている。しかしながら微妙な違いがあって、それが各人の個性を伝えている。年齢、性格、家族構成、経歴は、みなばらばらである。 第一の女は、まぶしそうに目を細めているが、日差しが強いからというよりは、何かを見極めようとしているらしい。いったい彼は、信用できる人なのかしら。財産家かしら。ここでお世辞のひとつでも言っておくべきかしら。女の背景は、たえず雨が降ってやむことのない庭のような色である。 第二の女は、庶民的で、顔は少し日に焼けて、頬が赤い。目と目の間が離れているし、目尻がつり上がって眉が下がって、美人とは言えない。しかし、彼女はよく笑う(そしてよく泣く)女だ。背後に見えるのは壁面らしい。湿った暗い室内だが、それでも彼女は別段自分を不幸であるとは思っていない。 第三の女は、かなり若い。口を開きかけて、何かを話し出そうとしているところ。あなたはそう言っているけど、本当にそう言えるかしら?彼女は賢く、議論好きで、話し方はいつも少し挑戦的だ。何かについて判断をくだそうとしているが、第一の女のように、それが自分にとって都合がよいことかどうかを見極めようとしているのではないらしい。背景は大粒の雨のような色で、彼女はことばを嵐のごとく次々に投げかける。かと思うと急に黙り込む。 第四の女は、大きな目が塗りつぶされて、ますます大きく見える。何か、悲しみを---おそらくは、亡くなった夫のことを---映し出しているせいだろう。忘れようとしているのに、自らの意志に反して、ふと気づくといつも彼のことを思い出している。思い出はあまりにも暗く、彼女の目を黒く塗りつぶす。色の濃さは、悲しみの深さ。影が女の背後から立ち上がり、その肩にすっと覆いかぶさる。 モディリアーニは、逸楽の神殿を建築することを夢見ていたという。その神殿を支えるカリアティッド(人像柱)のデッサンをいくつも残している。モディリアーニのカリアティッドはしかし、膝を地面につき、首を横に倒した低い姿勢をとっている。ギリシア神殿のエンタブラチャーを支える、すらりと立ち上がるカリアティッドに比べると、かなりずんぐりむっくりの体型である。神殿というよりは、もう少し背の低いもの、たとえば食卓の足とか、噴水の支えの方が合っている。ぽっちゃりとした肉付きは、豊穣ということばを連想させる。そう、このカリアティッドは、晩餐の食卓を支える柱にふさわしい。豊かな食卓上には、ありとあらゆる種類のごちそうが並ぶ。逸楽の饗宴。 展覧会場の最後の部屋に並べて架けられていた、4人の黒い服の肖像に立ち返ってみよう。 * 図版出典: 国立新美術館『モディリアーニ展』日本経済新聞社(2008年) 参照展覧会 展覧会名: モディリアーニ 展 |
最終更新 2015年 11月 11日 |