2008/2009シーズン シリーズ・同時代【海外編】Vol.3 タトゥー |
レビュー |
執筆: 小金沢 智 |
公開日: 2009年 6月 04日 |
劇場の天井から紐で吊り下げられた、白を基調にしたおびただしい数の窓枠。塩田千春がベルリンの廃屋などで集めたというその窓の、大きさや状態の程度はもちろん一様ではない。作業台や食卓、椅子、テレビ、花、鏡、ベッド、ピアノまでもが吊り下げられ、その廃墟的な佇まいはむしろ崇高な雰囲気すら漂わせる。神奈川県民ホールギャラリーで開催された、「沈黙から 塩田千春展」(2007年10月19日〜11月24日)を思い出す。あのとき、地下会場には窓枠を用いたインスタレーションが天井に届かんばかりに積み重ねて展示され、燃えたピアノが黒い糸に覆われるように置かれていた。その点で今回の演出はかつての仕事を彷彿とさせるものであり、塩田の作品はやはり、徹底的な作り込みがなされた場こそふさわしい。塩田が新国立劇場で上演された、「シリーズ・同時代【海外編】Vol.3 タトゥー」(2009年5月15日〜5月31日)の舞台美術を担当した。 「タトゥー」はドイツの女性作家デーア・ローアーの作であり、日本で上演するにあたって三輪玲子が翻訳に、岡田利規が演出に当たっている。役者は吹越満 、柴本幸 、鈴木浩介 、内田慈 、広岡由里子の五名であり、物語は父親と娘の近親相姦にくわえ妊娠、出産までをも含む家族の愛憎劇である。だがそのショッキングな内容はひとまず置き、まず塩田千春の仕事に注目したい。演出家の岡田に指名され塩田が作り出したのは、窓枠を中心にしたいわばインスタレーションであり、それらは舞台の進行に応じて上下するという仕組みになっている。岡田は塩田に事細かな希望はせず一任し、完成したプランに応じて全体の演出を作り上げていったという。 面白いのは、その仕組みによって場面転換の場合でも舞台を暗転させる必要がないということである。それはどちらと言えば客席に見えるように転換を行う明転であるものの、転換が紐の上下という動作で行われているために、舞台美術自体の規模は大きなものだが、さりげない。それにより劇中では大きな変化が起こっていないにも関わらず、いつの間にか数ヶ月時間が経っていることがあるからおかしい。自身で演劇カンパニー「チェルフィッチュ」を主宰する岡田の演出は役者の独特な動作や若者言葉を多用した台詞まわしが特徴であり、そのことが演劇空間全体を特異なものにするが、塩田の美術もまたそれに大きく関与している。 すなわち今回の演劇における岡田による演出と塩田による美術双方はそもそも、人であれ、空間であれ、ある対象を非日常的なものへと異化させる性質を持っている。それにより観客は居心地の悪さを感じもするが、それはドイツを舞台にした戯曲を日本人が演出し、日本人の役者が演じるという齟齬から生まれる居心地の悪さでもあり、岡田の関心はそれを無理矢理清算するのではなく、いかにしてその居心地の悪さを感じさせる舞台を作り上げることができるのか、に向けられている。戯曲の内容からすれば複雑な性差を巡る家族劇であり、それゆえ塩田もジェンダーというフィルターを介されて選ばれたように当初感じたが、今回塩田が美術に選ばれたのは作品の性質によるものだろう。スケールの大きさに加え、ある物事の喪失やそれらの記憶の創出というテーマが今回の戯曲と大きく重なるのである。岡田の演出がきわめてユニークであり、塩田の美術を必ずしも深刻なものとしてだけ捉えさせないところに演劇ならではの新味があった。 参照イベント 展覧会名: 2008/2009シーズン シリーズ・同時代【海外編】Vol.3 タトゥー |
最終更新 2010年 7月 05日 |