| EN |

ゼロ年代の美術はいかにして流通したか?
特集
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2009年 8月 31日

2009年も終わりに近づいた今日、もしそのような問が立てられるとすれば、私はこう答えたい。「インターネットによってである」と。

拙稿で主に取り上げるのはインターネットによる美術の「情報」の流通の変化にあるが、これはなにも情報だけに限ったことではない。作品もまた、衣服がネット上の店舗に陳列されるのと同様の形で売り買いされ世の中に流通していることは、タグボートのような大手現代アート販売サイトからも明らかだろう。そこではパソコンのモニター以外作品を「見る」すべはなく、希望者は必要事項をタイプしていくことで家にいながら作品を買うことができる。このような形での売買に は賛否両論あるだろうが、多くのギャラリーが一部の都市部を中心に位置している以上、関心があっても地方在住者やなんらかの理由で外出が困難な人々の存在 は当然想定でき、販売層拡大への貢献は無視できない。

同様の見地から「情報」についても言うことができる。ここでの「情報」とは、ギャラ リーや美術館の展覧会情報からそれらのレビュー、あるいは作家へのインタビューや各論、テーマ批評など、つまりそれまで美術雑誌が基本的に担ってきた情報 を意味する。そして、企業主体の情報サイトから個人レベルのブログまで、それらネットでの情報ないし交流が無視できないほど大きな影響力を持つようになっ たのが、ゼロ年代が終わりつつある今日である。以下情報サイトというよりはブログについての記述になるが、著名ブログには一日数千ものアクセスがあり、そ こで手に入れた情報をきっかけに展覧会を訪れ、新しい知見を知り、コミュニケーションが生まれることはまったく珍しいことではない。クオリティは様々であ り一概に言うことはできないものの、少なくない個人のブログには足を使って手に入れた様々な情報が惜しみなく、懇切丁寧にアップされており、そこには編集 者ないし評論家中心の雑誌ならば読者投稿欄でもないかぎり知ることのない一般鑑賞者の「生」の声がある。ハンドルネームならではの忌憚のない意見を発信し ているブログも少なくない。結果として作品売買のくだりと同様に、ネットが雑誌に負けず劣らず、貴重な情報ソースになっているのである。

さて、森美術館で開催中の「アイ・ウェイウェイ展—何に因って?」と「MAMプロジェクト009:小泉明郎」(2009年7月25日〜11月8日)が、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下、会場内の写真撮影が許可されているという点で注目を集めている。東京国立博物館と東京国立近代美術館は所蔵作品を 見せる常設展で、あるいは板橋区立美術館は企画展でもそれが所蔵作品で行なわれているかぎり幾つかの禁止事項を守れば写真撮影を認めているが、森美術館の ような現代美術を中心にする美術館でこのような許可が下りるのはきわめて珍しい。

多くの美術館で写真撮影が禁止されている理由としては以下 の二点が挙げられる。一つは作品保護の問題であり、もう一つは著作権者である作者ないし所蔵館の意向である。前者については言うまでもないだろう。フラッ シュや撮影機材の接触など撮影に際して起こりうる事柄が作品に損害を与えることは十分に考えられる。後者についてだが、まず作者の意向として今回の展覧会を参考にすれば、アイ・ウェイウェイと小泉明郎が何らかの意思に基づき許可を出さなければ撮影は不可能であり、もしこれがそれぞれの個展ではなく作者が複 数存在するグループ展であれば全体的な許可はより難しくなる。所蔵館の意向とは、とりわけ展覧会に出品される作品の所蔵先として他館も含まれる場合で、グ ループ展と同様の許諾の困難さが想像される。森美術館も注意事項を守った上での撮影を認めているわけだが、※1 注意事項にあるように撮影という行為が著作権の侵害だけではなく作品に損害を与える、ないし鑑賞者の邪魔になることは十分に考えられる以上、今回森美術館が撮影許可を出した理由とは何か。

そもそも日本国内の美術館は一般的に撮影ができること自体珍しく、そのため撮影をしようとも思わないのだが、そのような状況がありながら許可した理由として 最も考えられるのは、単純に鑑賞者の思い出作りというよりは、それによるある程度の宣伝効果を見込んでのことだろう。カメラ付きの携帯電話ないしデジタルカメラの高性能化と普及がまず前提としてあるが、それに加えてインターネットの一般化、さらにブログやSNSの隆盛など、ここ数年で情報の流通のあり方が 大きく変わった。『ART iT』(アートイット、2003年〜2009年)が雑誌を休刊しウェブに完全移行したことに端的に表れているように、取材から出版まである程度の時間と費用が必要とされる紙媒体とは異なり、ネットは情報の即時性と費用対効果が際立っている。アーカイブ化も難しいことではなく、コミュニケーションすらできる機能を備えており、「口コミ」で展覧会を訪れることは以前からあったが、先に記したようにネット上の見知らぬ他人の「口」もそこに含まれていることに現代 の美術情報の流通の特徴がある。事実、「アイ・ウェイウェイ」展でブログ検索すれば、多くの記事が画像を伴って検出される。※2 知らぬ他人の日記によって、本来そこに行かなければ見ることができない、展覧会風景まで添付された画像で見ることもできるのである。さらに宣伝に関してより直接的な例を挙げておこう。国立科学博物館で行なわれている「特別展 インカ帝国のルーツ 黄金の都シカン」では「1日ブログ記者」が公式HP上で募集 され、エントリーし認証されれば無料で展覧会を見ることができ、写真撮影も可能で、オリジナルグッズまでもらうことができる。※3 言うまでもなくこれはブログにその取材内容をアップすることが前提条件であり、主催者がその宣伝効果をある程度見越しての決定であると考えることができる。

しかし主催者が認めているにせよ、このような形である展覧会の情報が作品や会場写真とともに流通することに対し問題はないのだろうか。というのは、私は個人的には展覧会を訪れる前にその風景を見たいとはまったく思わず、むしろ「見せないで欲しい」と思うから、そういうサイトやブログが人気を博しているのは知っているが、事前に会場や作品を必要以上に「見ることができてしまう」ものについては基本的にアクセスしたくない。理由は簡単で、それで展覧会を訪れる 楽しみが大きく半減してしまうからである。もちろん、ネットで「見る」のと会場で「見る」のはまったく違う。だが、だからこそ先にネットで「見る」必要を感じられない。モニター越しの「鑑賞」はあくまで擬似的なものでしかなく、私について言えばそうしたネットの情報が必要とされるのは、事後的にその情報を求める場合に限られる。

カロンズネットという「現代美術のウェブマガジン」にレビュー等を執筆しながらこのようなことを書くと誤解されてし まうかもしれないが、私は基本的に読者を展覧会に行かせようと焚き付けるために記事を書いているのではなく、むしろ後々その情報を必要とする人に向けて書 いている。その人はもしかしたら50年、100年後の人かもしれず、したがって記事のアップが展覧会終了後になることがしばしばだがそれは些細なロスでは ない。ネットに情報が膨大に溢れているからこそ適切な情報を載せなければならないと思うし、それとスピードは必ずしもリンクするものではない(なおこれは 私個人の立ち位置であり、カロンズネットの総意ではないことをここでお断りしておく)。

もっとも森美術館のケースも宣伝が大々的に目的として掲げられているわけではまったくないのだが、どうしても観客の思い出作りのためとは考えにくく、加えてそういうところから集客を計る美術館の手法に強い 時代性を感じるのは事実である。学生時代に指導教官から、ネットのない昔は散り散りの情報を収集する能力が必要とされたが、今は膨大な情報から必要なもの を峻別する能力が求められていると言われたことを思い出す。ネットが情報収集のあり方を変えたのである。それはパソコンだけではなくiPhoneなどのス マートフォンの流通増加によっても今後さらに加速するだろう。良くも悪くも私たちは情報過多な時代を生きている。今回森美術館が試みた展覧会における写真 撮影許可は私たちの時代の一つの大きな反映と私は考えるが、そうして日々増殖していく情報の山から何が必要なものなのか判断することのできる力を養わなけ ればならない。


脚註
※1
森美術館のHPには「「アイ・ウェイウェイ」展・「MAMプロジェクト009」展 写真撮影に関する注意事項」として以下のようにある。なおライセンスの「表記例」として図が示されていたが、引用の際に省略した。<http://www.mori.art.museum/contents/aiweiwei/related/index.html
森美術館にて開催中の「アイ・ウェイウェイ展-何に因って?」および「MAMプロジェクト009: 小泉明郎」展では、下記の条件の範囲内で作品の写真撮影が可能です。

<写真撮影に際して>
  • 作品に触れない。
  • 他の鑑賞者の鑑賞を妨げない。
  • フラッシュは使わない。
  • 三脚は使わない。
  • 動画の撮影はしない。
<撮影された写真の利用に関して>
  • 撮影された作品写真は、非営利目的の利用でお使いいただけます。営利目的には利用できませんのでご注意ください。
  • 撮影された作品写真に変更を加えることはできません。
  • 上記作品写真の使用条件はクリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下で許諾されています。撮影した作品写真をブログや写真共有サービスなどに利用する場合は、下記のとおり表示ください。
  • 撮影された作品写真に来館者が写っている場合、その写真の公表にあたって写り込んだ方の肖像権に触れる場合がありますので、ご注意下さい。
※2
Googleのブログ検索で「アイ・ウェイウェイ」を検索すると以下の結果があらわれる。記事には展覧会風景を写した写真が多く見受けられ、クリエイティブ・コモンズ表示も私が見たかぎり非表示のものの方が少なかった。使用上のマナーは比較的守られているようだ。
※3
TBS「特別展 インカ帝国のルーツ 黄金の都シカン」
http://www.tbs.co.jp/sicanten/eventblog/
最終更新 2015年 10月 28日
 

関連情報


| EN |