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碓井ゆい:泣く前
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2010年 7月 15日

《横たわる4人の裸婦》 2010年|ミクストメディア
画像提供:studio J|Copyright © Yui Usui

碓井は作品の素材として、擦り切れた布やお菓子の包み紙、またガラス片や板きれなどを使用してきましたが今回の個展では陶器の破片に焦点を当てます。

さまざまな素材を使いながらも、碓井作品の根底に流れるテーマは感傷です。日常にありふれているささいな感動を、単に叙情作品として提示するのではなく、感傷自体を表現方法を変えて提示しようと碓井は考えます。

陶器で作られた皿が割れるということ、そこには何層にも折り重なった物語がありますが、割れる前の姿と同じように、決してそれは完璧な姿では私達の前には立ち現れません。素焼きの皿に絵付けをして焼き、それを破壊する。そうすることによって構成された作品たちの声に、静かに耳を傾けたいと思います。

作家コメント
京都で学生をしていた頃、帰りのバスの中から、光る京都タワーが見えた。
なぜか突然、いつか京都を去ったら、この風景を思い出して懐かしがるのだろう、という考えが思い浮かんだ。そう思うと、涙が出そうになった。
だけどその風景は、なんだか駅に貼ってあるポスターの様でもあり、悲しがっている自分がとても安っぽくも思えた。
確実に今、自分が見ているものなのに。

※全文提供: studio J


会期: 2010年7月24日(土)-2010年9月4日(土)

最終更新 2010年 7月 24日
 

編集部ノート    執筆:平田剛志


割れたものは未完成や不要なものとされる。時代が古ければ考古学的な資料として扱われるが、そのように扱われるものの方が稀だろう。それが絵付けされた陶器であればなおさらである。欠けた絵や模様は鑑賞されるものではなく、絵として成り立たないものとして見なされる。なぜなら、絵付けされた陶器は割れた状態で鑑賞することなどないからだ。

だが、碓井は絵付けをした陶器を割り、割れた欠片をつなぎ合わせて作品とする。そこに見られる欠損、断片、つぎはぎによって現れるイメージは、「修復」ではなくイメージの「再生」である。欠けたピースを補うように、かつてはあったが今は割れて(見え)ない部分を補うようにものを見る。繋ぎあわされたイメージは、絵にヒビがはいったままである。だが、傷ものや欠けたものほど、まなざしは惹きつけられる。


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