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小谷忠典監督作品『LINE』
レビュー
執筆: 田中 みずき   
公開日: 2010年 5月 17日

fig. 1 『LINE』2008/日本/52分/カラー/スタンダード
画像提供:ポレポレ東中野

fig. 2 『LINE』2008/日本/52分/カラー/スタンダード
画像提供:ポレポレ東中野

fig. 3 『LINE』2008/ 日本/52分/カラー/スタンダード
画像提供:ポレポレ東中野

fig. 4 『LINE』2008/ 日本/52分/カラー/スタンダード
画像提供:ポレポレ東中野

    ホラー映画のビデオに出てくるお化けを、画像を止めて眺めたことはあるだろうか。お化けは、出てきた瞬間には驚かされるが、じっくり眺めていると怖くな くなる。姿や表情から、お化けの人生を考えて親近感を持ってしまうせいだろうか。実は、観ない方が怖いのである。観ない方が怖いものは、お化けのような異 端の存在だけでなく、至近距離にも居る。例えば、父親はどうだろう。
    小谷忠典監督のドキュメンタリー作品『LINE』(2008年)※1は、 避けていたものを直視するために人生を一旦停止するが如く、二つの「父」に向き合った作品だ。一つ目の「父」は、アルコール依存症の男。小谷の実の父であ る。二つ目は、小谷が現在付き合っている女性の子供に対してなろうとしている「父」という役割だ。彼女は、小谷とは血の繋がらない男の子を育てている。小 谷はその子の父親になるつもりだった。しかし、様々な現状が彼を苛立たせている。例えば、毎夜自分の父を飲み屋に迎えに行く小谷の、ある一夜が印象的だ。 酔っている父は、小谷と父とが「まったく別」の存在だと、小谷を拒絶するように語る。また、彼女の息子と一緒に夕食を取る小谷は、饒舌な息子に対してひど く寡黙だ。そして、どちらの「父」からも目を背けようとする。そうした状況で撮られた本作は、小谷がビデオカメラで撮影した人物や風景と、彼が写した自身 の姿とで構成された。映画冒頭で現状が写し出された後に小谷が向ったのは、彼が暮してきた大阪市大正区に深い関わりがある沖縄である。
    大正区は、明治以降に繊維産業が盛んになった後、工業地帯として発展し、沖縄からの移住者が集った地域だ。現在は区民の約3割が沖縄系である。大阪でありがな ら、沖縄の文化が根付いているという不思議な背景のある場所だ。小谷は「本当の沖縄」を見たいと思い、逃亡とも対面とも言える旅をする。各所を回った後、 彼はコザ吉原に行き着いた。沖縄本島中部にある社交街・コザ吉原は、かつての赤線地帯であり、現在も同様の商売が残っている。小谷はそこで働く女性たちの 佇まいにインスピレーションを得て、体を撮影させて欲しいと頼んだ。
    そこに写される全裸の身体は、整ったプロポーションを晒すグラビア写真とは 全く違う、傷を持った人間の肉体だ。3段になったお腹も、皮下脂肪の塊や肌の凹凸も、皺も、手術跡も、自傷行為の後も、タトゥーも、人の体に残る線が総て 写しこまれる。女性たちが洋服の下に隠し持っていた様々な跡は、言葉以上に雄弁に、彼女たちが生きてきた時間を感じさせる。加えて印象的なのが、数分に及 ぶ、無言で女性の顔の表情を捉えた映像だ。写真と違って映画が面白いのは、無言の時間を記録できる所だ。文字のコミュニケーションではなく、視線のコミュ ニケーションが交わされる時間によって、女性たちの表情は刻一刻と繊細に変化していく。視線を受け止める女性は、時に恐れ、戸惑い、感情を抑え、笑い、そ して、総てを受け入れてくれる母性を持った眼差しでこちらを見返す。
    この撮影の際、小谷の彼女たちを見つめる眼差しには性的なものが感じられな い。ここにあるのは性という枠を排して人体と向き合う姿勢だ。しかし、これは「性別」と無関係の眼差しではないだろう。このシーンを観た当初、男性や無傷 の女性が撮られていない点から、故意に男性的な眼差しを避けているのかと想像し違和感があった。超男性的な観点が逆に強く感じられたのである。しかし、観 ているうちに印象が変わった。ここに映っている女性の表情は、恐らく同性同士には見せることのない表情である。媚びということではない。そこに写しこまれ たのは、分かり合えない他者-異性にだからこそ晒すことができる素顔なのだ。写真家の石内都なども傷のある裸体の女性を撮影してきたが、そこには信頼関係 とともに同性同士だからこその緊張感も映りこむ。しかし小谷は、異性だからこそ臆することなく見せることができる姿を捕らえた。女性たちは、分かり合おう とする模索の表情を浮かべていく※2
    無言のコミュニケーションはそこで大きく意味を持つ。言葉を尽くして総てを理解し 合うことがコミュニケーションかというと、実はそうとは言い切れない。向き合って、解らない所があることを受け止め、相手の心境を想像していくというコ ミュニケーションが小谷と被写体の間に生まれていく。初めのうち、コザの女性たちの顔は少し距離を持って斜めから撮られているが、次第に至近距離で真正面 から見つめられるようになる。他者の傷を躊躇せず受け入れた小谷が、わからないものへ真っ直ぐ向き合っていく変化が伺えるようだ。
彼が女性たち を撮る中で得たコミュニケーションの姿勢は、家族に向ける視線の変化に繋がっていき、見えない「LINE」が朧げに浮かび上がってくる。鑑賞者は、カメラ が記録していたものは被写体ではなく、彼の視点なのだと気づかされるだろう。コザから戻った小谷が捉えた日常から、その変化が鮮明に浮かび上がる。例え ば、冒頭の場面、深夜に便器へ嘔吐する小谷の姿と、終盤の明るい光の差す居間での父との食事の対比。野球中継の流れるテレビ画面に向って投球する振りをし ていた彼女の息子は、小谷がコザから帰宅すると、小谷の父とキャッチボールをするようになる。そして、初めは後ろや斜めからしか観られなかった父親を、陽 の射すベランダで最後に小谷がどのように撮るか。その父の表情がこの映画が捉えてきた変化を鮮烈に印象付けて心に残る。
小谷の眼差しの変化を追 体験するうちに、観て居る私達にも自分の眼差しを鑑みる機会が生まれていくだろう。大きなスクリーンと、映画館の暗闇に照らされる光の投影からは、被写体 との距離感や、昼と夜との光の対比が鮮明に感じられ、小谷の対象との向き合い方がより実感を持って受け止められる。作品から得た「見方」は、映画館から出 た後の生活にも繋がっていくことになるだろう。

脚注
※1
映画『LINE』2008/日本/52分/カラー/スタンダード|監督・撮影・編集:小谷忠典|製作:sorairo film|宣伝:スリーピン|配給:ノンデライコ|5月22日(土)より東京・ポレポレ東中野(http://www.mmjp.or.jp/pole2/)にてレイトショー公開後、全国順次公開予定。公式サイト:http://line.2u2n.jp/index.html
※2
なお、映画の中では説明されないが、本作では女性が撮られているものの、家族内の女性である母親が出てこない。小谷監督と写真研究家・鳥原学との対談(2010年4月21日、東京・澁谷区の日本写真芸術学校で行われた同校学生向け上映会後開催)によると、実際には健在で同居しているそうだ。母の仕事の関係や、本作のテーマを絞るために割愛されたそうだが、母の不在に特別な意味を感じるため、作品中で説明があっても良かったように思う。

参照上映作品

展覧会名: 小谷忠典監督作品『LINE』
会期: 2010年5月22日~2010年6月18日
会場: ポレポレ東中野

最終更新 2015年 10月 20日
 

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