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志村信裕:うかべ
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 11月 06日

志村信裕≪赤い靴≫2009年|黄金町バザール2009での展示風景撮影:笠木靖之

横浜美術館は新進アーティストを発掘・支援し、横浜からアーティストを発信していく取組みとして、横浜都心部における先駆的なレジデンス事業「アーティスト・イン・ミュージアム横浜(AIMY)」を開催してきました。今年度は、映像を用いたダイナミックはインスタレーションで今後の活躍が期待される、新進気鋭のメディアアーティスト、志村信裕を選出。今秋開催される「ヨコハマ国際映像祭2009」にあわせ、横浜市内で新作制作と展示を行います。

志村信裕は1982年東京都生まれ、東京都在住。クリップや鉛筆等、日常生活にあふれている見慣れたものを題材に撮影した映像をつかい、空間全体を変容させるインスタレーションを制作しています。公立美術館における初の発表となる本展では、横浜美術館のグランドギャラリーなど、美術館ならではの大空間をつかい、横浜に滞在中に制作した新作映像インスタレーション4点を展示します。会期中、石田尚志(映像作家・美術家、アーティスト・イン・ミュージアム横浜2006招聘アーティスト)とのトークや、アーティストによるワークショップを開催します。また今回の美術館の展示にあわせ、「ヨコハマ国際映像祭2009」サテライト会場のひとつでもある黄金町エリアマネジメントセンターにて映像インスタレーション≪赤い靴≫を展示いたします。

※全文提供: 横浜美術館

最終更新 2009年 10月 23日
 

編集部ノート    執筆:桝田倫広


16:00、辺りが薄暗くなった頃、志村の映像作品は、スクリーンではなく横浜美術館の壁面に、天井に、階段の踊り場に浮かび上がる。水の波紋のようなものや、星のようなドット、揺らぐカーテンのような抽象的な映像にもかかわらず、人々をその映像世界に沈潜させる不思議な力がある。特に圧巻は、美術情報センターというライブラリースペースへと向かうための階段の踊り場、その湾曲した壁面に投影された作品ではないだろうか。階段を上り近づきながら眺め、踊り場で対峙し、階段を登りきりある程度の距離をとって作品と向き合う。湾曲した壁面を持つ踊り場という場所性を強く喚起させる作品でありながら、踊り場のところでその作品に抱かれた時、何の変哲もない踊り場が別世界へと姿を変える。 展覧会名の「うかべ」とは映像を浮かべることと、場所を意味する「辺(べ)」を掛けた言葉であるそうだが、それは「浮世」(うきよ)にも通じるだろう。「浮世」とはかりそめの世界、しかしそれは紛れもない「現実」の世界を指す言葉だ。彼の作品は、まさしくかりそめで移ろいやすい幻影(映像)でありながらも、幻影の強固な現実性を持つ。また同時に美術館の壁面という「現実」をも指向する。映像を介したコミュニケーションを指向する「ヨコハマ国際映像祭」が、それでもやはりスクリーンやモニターを多用し、「見る-見られる」という関係性を構築せざるをえないのに比べて、彼の作品は軽やかに観者と場所との間にコミュニケーションを形成することに成功しているように思える。 ちなみに黄金町エリアマネジメントセンターにも彼の作品が道端に落ちている。こちらも日没後から現れる。映像祭と合わせて見てもらいたい。 最後に徳川将軍家のコレクションをメインに据えた「大・開港展」(横浜美術館内にて開催)では太平の眠り、すなわち「浮世」から日本を覚ませた黒船来航によって揺籃する幕末から明治への変遷を、芸術や工芸作品から垣間見ることができ、こちらも興味深い。

16:00、辺りが薄暗くなった頃、志村の映像作品は、スクリーンではなく横浜美術館の壁面に、天井に、階段の踊り場に浮かび上がる。水の波紋のようなものや、星のようなドット、揺らぐカーテンのような抽象的な映像にもかかわらず、人々をその映像世界に沈潜させる不思議な力がある。特に圧巻は、美術情報センターというライブラリースペースへと向かうための階段の踊り場、その湾曲した壁面に投影された作品ではないだろうか。階段を上り近づきながら眺め、踊り場で対峙し、階段を登りきりある程度の距離をとって作品と向き合う。湾曲した壁面を持つ踊り場という場所性を強く喚起させる作品でありながら、踊り場のところでその作品に抱かれた時、何の変哲もない踊り場が別世界へと姿を変える。 展覧会名の「うかべ」とは映像を浮かべることと、場所を意味する「辺(べ)」を掛けた言葉であるそうだが、それは「浮世」(うきよ)にも通じるだろう。「浮世」とはかりそめの世界、しかしそれは紛れもない「現実」の世界を指す言葉だ。彼の作品は、まさしくかりそめで移ろいやすい幻影(映像)でありながらも、幻影の強固な現実性を持つ。また同時に美術館の壁面という「現実」をも指向する。映像を介したコミュニケーションを指向する「ヨコハマ国際映像祭」が、それでもやはりスクリーンやモニターを多用し、「見る-見られる」という関係性を構築せざるをえないのに比べて、彼の作品は軽やかに観者と場所との間にコミュニケーションを形成することに成功しているように思える。 ちなみに黄金町エリアマネジメントセンターにも彼の作品が道端に落ちている。こちらも日没後から現れる。映像祭と合わせて見てもらいたい。 最後に徳川将軍家のコレクションをメインに据えた「大・開港展」(横浜美術館内にて開催)では太平の眠り、すなわち「浮世」から日本を覚ませた黒船来航によって揺籃する幕末から明治への変遷を、芸術や工芸作品から垣間見ることができ、こちらも興味深い。


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