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ウィリアム・ケントリッジ:歩きながら歴史を考える
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 10月 07日

≪流浪のフェリックス≫のためのドローイング [フェリックスの部屋/望遠鏡を覗くナンディ]1994年 ドローイング(木炭、パステル、紙)|作家蔵 copyright(c) the artist

そしてドローイングは動き始めた……

ウィリアム・ケントリッジ(1955 年南アフリカ共和国生、ヨハネスブルグ在住)は、1980年代末から、ドローイングを映画用撮影カメラでコマ撮りし、文字どおり「動くドローイング」とも呼べるアニメーション・フィルムの制作を開始します。それは木炭とパステルで描いたドローイングを部分的に描き直しながら、1 コマ毎に撮影する気の遠くなる作業から生み出される作品です。絶えず流動し変化し続けるドローイングの記録の連鎖から生まれる彼のアニメーションには消しきれない以前のドローイングの痕跡が残され、堆積された時間の厚みを伺わせる重厚さにあふれた表現となっています。

彼の作品は南アフリカの歴史と社会状況を色濃く反映しており、自国のアパルトヘイトの歴史を痛みと共に語る連作《プロジェクションのための9つのドローイング》は、脱西欧中心主義を訴えるポストコロニアル批評と共鳴する美術的実践として、1995年のヨハネスブルグ・ビエンナーレや1997年のドクメンタ10 を契機に世界中から大きな注目を集めるようになりました。しかし彼の作品を冷静に注意深く解読すると、その政治的外見の奥で、状況に抗する個人の善意と挫折、庇護と抑圧の両義性、そして分断された自我を再統合しようとする努力とその不可能性など、近代の人間が直面してきた普遍的かつ根源的問題を、執拗に検証し語り続けていることが分かります。ケントリッジ自身が「石器時代の映画制作」と呼ぶ素朴な制作技法に固執していることも、それが近代の物語(ナラティヴ)生成の原点、あるいは歴史を遡りながら植民地主義の病理を啓蒙主義の中に探ろうとする彼の強い意志によるものと理解すべきなのかもしれません。

精緻なセル画アニメやCGが主流である現代にあって、ケントリッジの素朴なアニメーション技法はその対極に位置していますが、彼の力強い表現は、ドローイングのコマ撮りアニメーションが未だに有力な表現手法となり得ることを証明しており、1990年代中頃から彼の作品は、世界中の若い世代の美術家たちに大きな影響を与え続けています。

いま世界で最も注目を集める美術家の一人であるケントリッジは、2009年3月のサンフランシスコ近代美術館を皮切りに、フォートワース近代美術館(テキサス)、ノートン美術館(フロリダ)、ニューヨーク近代美術館、アルベルティーナ美術館(ウィーン)、イスラエル美術館(エルサレム)、ステデリック美術館(アムステルダム)を会場に、大規模な世界巡回展が進行しています。

日本での展覧会は、京都国立近代美術館とウィリアム・ケントリッジとの3年間にわたる緊密な協力と広範な準備作業を経て実現されるもので、我が国では初の個展となります。南アフリカの歴史を扱った代表作《プロジェクションのための9つのドローイング》(1989–2003)から、ショスタコーヴィチのオペラ『鼻』を題材にした最新作の《俺は俺ではない、あの馬も俺のではない》(2008)まで、フィルム・インスタレーション4点を含む19点の映像作品と、36点の素描、63 点の版画によりケントリッジの活動の全貌を紹介します。

全文提供: 京都国立近代美術館

最終更新 2009年 9月 04日
 

編集部ノート    執筆:平田剛志


木炭、パステルによって描かれたドローイングを部分的に描き直しながら1コマづつコマ撮りしていくドローイングアニメーションを制作するウィリアム・ケントリッジ待望の日本初個展。近年、多くのグループ展参加で、その作品の鮮烈な印象が忘れられなかった私たちにとって、これは祝福すべき「歴史」である。 ケントリッジのアニメーションは南アフリカ共和国出身という出自から、南アフリカの歴史、政治や社会状況を読みとることが可能な作品ではある。だが、緻密な編集と音楽によるポストプロダクションが加えられたドローイングアニメーションからは、最先端の技術にはなしえないイマージュが画面に漲り眼を離すことができない。動画やアニメーションが溢れる現在において、素朴なまでにムービングイメージを見ることの陶酔へと私たちを誘うことだろう。 なお、全映像作品必見のため、時間を充分に取って体感して頂きたい。この後、本展は来年に東京国立近代美術館、広島市現代美術館へと巡回される。しかし、あえて言おう。作家と3年にも渡る緊密な準備作業を進めてきた京都国立近代美術館へと我々は駆けつけるべきであると。


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