ジェイ・デイビス:Anagrams and Other Dimensions |
展覧会 |
執筆: カロンズネット編集 |
公開日: 2011年 3月 04日 |
『人はテレビに映っているものに興味があるんじゃない。他のチャンネルで何が映ってるかに興味があるんだ。』 テレビ世代以降においては、例えばネットサーフィンやテレビゲーム、mp3、瞬時に消費されていく映画など、私たちの好奇心を満たす娯楽は急速に進化し、もはやお気に入りのテレビ番組の時間を待つ必要はなくなった。わざわざCDやカセットで曲を探したりしなくても、いくらか指を動かしてクリックさえすれば、ヴァーチャルなものへの欲求は瞬時に満たされてしまう。 この新たなネット世代では、「探す」という単純な行為のもとにすべてが表層的なものとなる。 ユーザーはそれぞれのものをダビングして、ミックスしたりリミックスしたりしながら新たな作品へと変えていく。異なる曲を混ぜ合わせ、そこに対立や面白いハイブリッドが生まれる。小説は『Pride and Prejudice and Zombies』[1]のように書き直され、子ども番組に重ねられる声、音楽、映画、音、すべてがサンプリングされ、ミックスされ、ひとつの平面上へと落とし込まれ、その一つの結果としてジェイ・ディビスの作品が生まれる。 彼が子どもの頃から慣れ親しんだゲームセンターの騒音の中では、視界に入るもの、音、匂いなど、すべての感覚がフラットに感じられる。このゲームセンターでの感覚は、コラージュに似ていながらもパリンプセスト[2]を思わせる複数のレイヤーを重ねた彼の作品に影響を与えているようだ。 それぞれが注意を引こうと主張しながらも、私たちの理解のフィルターの中ではどこかしら統一されているように感じる。 ここでは時間は排除されている。距離と空間は同一平面上で圧縮され、お互いに韻を踏んだり動きを合わせたりする。不一致が同時に起こり一致する。 私たちはバラ色のガラス越しにではなく、たくさんの染みがついたガラス窓越しに物事を見ている。そしてさらに、直感的で触感的な出来事は私たちの身体を通して記憶されていく。この作品は高速で変化する現在をマッピングしているかのようだ。 イメージの文法を幅広く引用し、オープンソース化したイメージとテクニックとを意図的に絡ませて、この複雑さをシンプルな絵画というジャンルの中にまとめています。 注1:オースティン「高慢と偏見」をゾンビ小説としてマッシュアップしたパロディ作品。未翻訳。 ※全文提供: Motus Fort 会期: 2011年3月4日(金)-2011年4月2日(土) |
最終更新 2011年 3月 04日 |