サイモン・モーレイ:ヒッチコックの女優たち |
レビュー |
執筆: 平田 剛志 |
公開日: 2009年 11月 20日 |
ギャラリーに入ると金色の小ぶりな絵画が並んでいる。近づいてみると、画面上にはエンボス加工されたように独特な書体で人名が書かれていることがわかる。イングリッド・バーグマン、グレイス・ケリー、キム・ノヴァク、ジャネット・リー・・・。そう、そこに書かれていたのはアルフレッド・ヒッチコック作品に出演している女優の名前なのだ。つまりこの展覧会で私たちが見るのは、映画冒頭で写されるタイトルバックに表示される女優の「文字」を描いたものなのである。なぜそれが分かるかというと、そこに書かれている「女優」や「映画」を私が知っているからと言うしかない。『汚名』(1946)、『泥棒成金』(1955)、『めまい』(1958)、『北北西に進路を取れ』(1959)、『サイコ』(1960)・・・そう、私もまたヒッチコック作品を見てきた者の1人である。2001年、≪汚名:アルフレッド・ヒッチコックと現代美術≫*1 なる展覧会が開催されたが、美術の世界にもヒッチコック好きは多いようだ。本展のサイモン・モーレイもまたそうした1人だろう。 だが、知りもしないヒッチコック作品の女優の名前を英語で描かれても意味がわからないという者がいるかもしれない。そんな人には、画面の金色には何も写らない。そう、金色の画面に描かれたこの「文字」は、見ることと見えることの差異をこそ浮かび上がらせているのかもしれない。 絵画は映画と違って、気持ちのいい椅子に腰かけてスクリーンを見つめていれば、サスペンスが展開していくような気楽なメディアでは残念ながらない。その画面を、フォントを、文字と地の境を際立たせる厚塗りと平塗りの微妙な描き分けなどを細部まで目を凝らして見てほしい。そこには絵画にこめられたいくつもの「ヒッチコック・タッチ」によって、あなたの記憶を喚起、追憶させるさまざまなしかけがなされているのだから。その機微に気づくことは、ヒッチコック作品に込められたさまざまなサスペンスの仕掛けや監督自身がひっそりとエキストラ出演しているシーンを発見するのと同じくらいに、ささやかな喜びと驚きを与えてくれるだろう。 繰り返すが画面は金色だ。そこには文字しか書かれていない。だが、その金色の画面がスクリーンとなり、私たちの映写機は「彼女」たちを映し出すことだろう。そう、「ヒッチコック・ブロンド」と呼ばれた彼女たちを。 この空間ではそんな密やかなしかけによって、私たちは作品との心理劇を演じることだろう。-それを私は「ヒッチコック・タッチ」と呼びたくなる。そして、心理劇の顛末は・・続きはギャラリーであなた自身が見てほしい。 脚注
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最終更新 2010年 7月 04日 |