忠田愛 |
アーティスト |
執筆: 小金沢 智 |
公開日: 2008年 11月 17日 |
(ちゅうだ・あい)1981年1月6日、大阪府生まれ。1999年4月同志社大学文学部文化学科美学及び芸術学専攻に入学するも、在学中に洋画家・香月泰男(1911〜1974)の絵を見たことがきっかけで、画家を志す。2000年9月同大学を中退し、翌年4月京都造形芸術大学芸術学部美術・工芸学科日本画コース入学。卒業後大学院に進学し、イタリア留学を経て、2007年3月京都造形芸術大学大学院芸術研究科芸術表現専攻修士課程修了。現在、京都造形芸術大学非常勤講師。 忠田が大学・大学院と学んだ領域は日本画だが、麻布に陶土を塗布したものを支持体に、墨や岩絵具、木炭、獣骨灰、採取した土を用いて描くなど、その手法はいわゆる日本画だけに留まらない。屋内ではなく屋外で制作をすることを好み、先の支持体の上にさらに紙を貼ることもあれば、画面をバーナーで焼き、水で洗い流し、あるいは削りもする。特徴的なのはこうした手法だけではない。忠田は人物像をよく描いているがそのモデルに若者は少なく、その多くが老人である。京都造形芸術大学に入学して初めて描いたのが「枯れた芍薬、首を垂れた蓮の実、枯れた向日葵の後ろ姿だった」というエピソードに端的にあらわれているように、忠田の関心は人間だけではないある程度の年月を経た生物のありさまに向けられている。それは年をとり髪を薄めた皺のある老人であることもあれば、それまでの艶やかさが嘘のように色みを失った花々でもあるだろう。つまり忠田の根底にあるものは、永久不変のものではなく、移ろい変化していくものへの揺るぎない肯定にほかならない。したがって作品もまた変化することを恐れず、それを鑑みれば先の手法は理にかなっているということがわかるだろう。 2008年7月、4年間モデルとして、しかしそれ以上の親交のあった、友人の祖父が亡くなった。その老人をモデルに制作され、同年10月にneutronでの個展で発表されたのが、十三枚からなる連作、《内側の他者》である。それぞれに朧げに消えては立ち上がる老人の像は、にも関わらず、もしくはそれゆえにだろうか、鑑賞者を強く捉えた。これは近年の試行錯誤が忠田の血肉と化した作品として一つの達成を示すものであろう。今後の展開が多いに期待される画家である。 活動年表 |
最終更新 2015年 8月 03日 |