興梠優護 「Pond」 |
展覧会 |
執筆: 記事中参照 |
公開日: 2016年 2月 16日 |
本展で興梠優護は、日々のあらゆる場面で関心を抱いている光に対する興味から、人体を主体としながら池などの水面に反射する光をモチーフとして使っています。また、人物は顔の表情がほぼ描かれておらず、以前より匿名性が増し抽象化しています。人体や顔の表情で何かを伝達するという意味での造形を必要以上にせず、興梠が作り出す油彩の色彩やマテリアル、テクスチャーそのものが、人々の知覚に接続するものであり、そのイメージを共有し、情報化することで、鑑賞者は、抽象化された絵画が生まれてくるオリジンや、アルゴリズム、造形を形成する何かが偶然このような形になったように感じ、無数にある完成形を想起し、流動的で不確かなものが確実に獲得出来たような錯覚を起こすでしょう。 世界中の何処かの誰かが、フォーマット化しアップロードしたイメージがインターネットに漂っています。それらは、虚構である真実であり、拡張していく現実と認識されています。 興梠優護の絵画は、この拡張した現実においても尚、私達の知覚に訴えかけるものであると考えています。 「池を覗き込むとすると、その水面には自分の姿が写りこむ。頭ではわかっていても、自分自身がその水の表面にいるような、水の中から見上げているような感覚を抱き、視点が曖昧になることがある。 モネが何枚も睡蓮を描いたのは、光を追っていくなかでそれが拡散し屈折する水面のなかで、絵画の平面性と色彩と一緒に、自分も解けて一体となってしまったからなのではないだろうか。 絵画の備える原始性は現代に於いても相変わらずに強烈で、少なくとも僕にとって平面性の魅力とはそうした豊穣さのなかにある。」興梠優護 http://www.yoshimiarts.com/exhibition/20160130_Yugo_Kohrogi-Pond.html 全文提供:Yoshimi Arts 会期:2016年1月30日(土) 〜 2016年2月21日(日) |
最終更新 2016年 1月 30日 |