展覧会
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執筆: カロンズネット編集3
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公開日: 2014年 3月 27日 |
[作家コメント] しんがんの作法 Connaissance Mechanism
鑑定士という専門職がある。
研究と経験で目を鍛錬し、時には科学的な方法でその対象の真贋を見極める。 特異な仕事のため資格が必要に思われているが、実際は必要としない。
その鑑定士のキャリアや信頼に基づいて依頼されるため信頼を維持するためには 絶えず新しい情報をアップデートする必要がある。 そして我々も日常の中で常に何らかの判断をし続けている。
最も日常的なものとしては食材。相手からの与えられた情報をもとに日々ジャッジしている。 情報は相手との信頼関係が最も重要であり、 信頼は自己や他社、またはメディアからの評判などを通して総合的に判断している。 これも先の話と同様に常に最新の情報が求められる。
おそらくインターネットが普及するまではこうしたやりとりは 良くも悪くもシンプルであり情報の重さも現在とは比にはならなかったのだろう。
ネットでの情報は無限であり 表と裏、薬と菌の様にせめぎあうように情報が更新されてゆく。
以前と比べて淡白な理由での犯罪や老舗といわれた企業の凋落も そうした疑いのまなざしがお互いを苦しめてしまっている原因ように思う。
皮肉なもので必要に思えた多くの情報はむしろ何かの檻のように、見えない柵を作り上げている。
しかし同時にそれは物心ついたときからそうした環境下で生きているかそうで無いかで 価値観も大きく変わってくるものだとも思う。
自分はちょうどその中間にいたからそのように考えるのだろうし。
例えばテレビゲームがある世代と外で体を動かして遊びまわった世代にも当てはまるだろう。 後者でありながら前者でもある自分にとってはそれはあいまいな境界線に立っていたことを 今は意識せざるを得ない。
作品のテーマとして常に多角的に物事を考えるようにしているが、 それもおそらくはそういった経験に基づいている。
制作するにあたり 一般的な絵画と違うところといえば 作品を作る上でのすべての行程に順序がありどれもが其々の役割を担っている。 非常に地味な作業の繰り返しではあるが其れを経なければない。 幾つもの色彩や形は制作の過程であっても常に明確な終着点を持っている。 そのことは自分にとって完成像の提示されているジグソーパズルを組むような安心を感じる。
様々な情報に埋もれたとしても、目にし手にし判断するのは結局のところ生身の身体でしかないのだから、 そのことを日々鍛錬してゆくべきなのではないだろうか?
日本には「心眼」という言葉がある。 これは知覚する事のできない情報を経験と想像で、推論する事で、 目に見えない具体的な形質や挙動を把握する能力とされている。 そうしたものはすべての人間に備わっているものだと思うし、 無意識下で常に正解を探していると思う。
自分は詰まるところ何かの役に立つものと信じて制作をしているのであり、 また同時に多くの問を誰かに求めている。
石川結介
☆オープニングパーティは3月16日(日)15:00〜 (通常と日程が異なりますので、お気をつけt下さいませ)
全文提供:レントゲンヴェルケ
会期:2014年3月14日(火)~2014年5月4日(土) 時間:11:00 - 19:00 ※金土日曜日のみ開廊致します。平日はお電話にてご予約下さい。 会場:レントゲンヴェルケ
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最終更新 2014年 3月 14日 |