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岡田裕子:翳りゆく部屋
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 10月 18日

≪翳りゆく部屋≫ 2009年|ビデオインスタレーション © Hiroko OKADA|画像提供:ミヅマアートギャラリー copyright(c) Hiroko OKADA

≪翳りゆく部屋≫ 2009年|ビデオインスタレーション © Hiroko OKADA|画像提供:ミヅマアートギャラリー copyright(c) Hiroko OKADA

実生活を軸とした目線から作り出されてきた岡田の作品は、国内外で高い評価を得てきました。近年は、アメリカ、フランスなど海外のグループ展に参加する傍ら、千葉大学の学生たちとのアートプロジェクトを通して地域社会とアートの関わりを模索するなど、他方向から社会の特性やそこに奥深く根付く問題と真摯に対峙しています。

本展で発表される新作ビデオインスタレーション「翳りゆく部屋」は、岡田が演じる一人暮らしの老婆が住む荒れ放題のゴミ屋敷を舞台に展開されます。守るべき弱者と、義務と善意で手を差し伸べる人々が織り成す物語。

会場にはステージを設置し、ゴミ屋敷が<舞台>として再現されます。無人のステージに上がるのは鑑賞者自身です。人はそこに足を踏み入れることによって、これらの問題が誰にでも起こりうる、もはや他人事では済まされない時代に生きていることを、当事者の目線で体感することでしょう。

少子高齢化社会を迎えた日本において、核家族化、都会での近隣関係の希薄化は確実に私たちの生活を侵食し、それにより「介護」、「孤独死」、「おひとりさま老後」、「ゴミ屋敷」などの言葉が、現在私たちが抱える社会問題を象徴しています。

今まさに私たちが抱える大きな社会問題を取り上げ、時代の特性と社会状況を捉える本展「翳りゆく部屋」は誰の心にも重なる景色なのかもしれません。

いったいどこからどこまでが必要な「物」で「ゴミ」なのか。どこまでが必要な「人間」で「ゴミ」扱いされる人間なのか。自分がさっぱり「きちんと」していない人間なので、老いた自分がどのぐらいゴミっぽくなってしまうのか、自虐的な妄想を膨らませてしまう今日この頃なのであった。

でもどのような人生にもストーリーがあり、正しいことだけではなく間違いにも、盛者ではなく衰えゆくものにも、そこに一縷の美しさのようなものを見いだしてゆけたら…。などと考えていると、やっぱり「きちんと」した人間にはなれそうにはないのだけれど。
-岡田裕子

全文提供: ミヅマアートギャラリー

最終更新 2009年 10月 21日
 

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