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宮原夢画:散華
展覧会
執筆: カロンズネット編集3   
公開日: 2013年 2月 08日

Untitled 2012 type-c print 508×610mm
© Muga Miyahara Courtesy of hpgrp GALLERY TOKYO

hpgrp GALLERY TOKYOより、写真家・宮原夢画の新作個展「散華」の開催をご案内申し上げます。 宮原夢画はファッションフォトやトップミュージシャンのCDジャケット、広告など、多岐にわたるフィールドで独自の世界観を表現する写真家です。 コマーシャルフォトと並行してアート表現としての写真作品の制作にも力を入れ、近年はミラノやミュンヘン、東京など国内外のギャラリーでも精力的に作品を発表しています。本展では、生け花の根源と言われる池坊で華道を修めた宮原の最新作「散華」シリーズを発表いたします。

[作家コメント]
花と私

告白するが、私が桜を綺麗だと思えるようになったのは、ごく最近のことだ。それまで子供達が桜の花を見て喜ぶ姿を見てもどこか共感できず、そんな自分に嫌悪したこともあった。それが変わったのは、華道を学んでからだった。
なぜ桜を綺麗だと思えなかった私が、華道の道へ足を踏み入れたのか。どうして散華というテーマで作品を作ったのか、すこしだけお話したい。
私は10代の後半から写真を志し、20代にはプロとなりファッションフォトの世界で活動するようになっていた。当時の私はイタリアンヴォーグやフレンチヴォーグ、ハーパースバザーなどの西洋のファッション誌に憧れ、影響を受け、日本のエディトリアルシーンで物まねの様な作品を作りながら、模索の日々を繰り返していた。
あるとき、Made in JAPANではない自分の作品に強烈な違和感を覚えた。どれだけ西洋のファッションフォトを追いかけても、そこには到底追いつけないと気づいた瞬間だった。そもそも彼ら海外のアーティストと私はまったく違う土壌で育っていて、文化も風土も、食も骨格も言語もすべてが違う。私は自問した。宮原夢画のアイデンティティとは何か? 私は日本人である。では、日本について私はいったい何を知っているのだろう? と。
そして、日本についての歴史や文化などの教養がまったくない自分に気が付き、激しい羞恥の念が生まれた。
それから私はすぐに行動した。そうだ京都へ行こう!と。
京都のお寺をしらみつぶしに歩いた。京都のお寺は全て行ったと言っても過言ではない。境内を細かく観察して、お堂に入り、仏様を拝し、開口部からの光の取り込み方を学び、お庭を拝観し、そこに秘められた古人の叡智に思いを馳せた。日本は中国や朝鮮半島に比べ雨量が多く湿気が多い、そのため日本の古典建築は軒下が半島や大陸よりも深く、光が内部にあまり取り込めない。だから金屏風や屏風のバウンスによって、奥深くまで光を取り込む工夫を凝らしていることなども知った。
私は憑かれたように日本中の寺院を巡りながら、日本の伝統について様々なことを学んでいた。そんなある日、四条烏丸近くの六角堂頂法寺でのことだった。いつものように
境内を廻っていると、ブロンズか銅で出来た蓮の花のオブジェが眼にとびこんできた。それはとても優美で美しかった。茫然と眺めながら、宇宙の様な、曼荼羅のようなパーフェクトなそのバランスに私は打ちのめされていた。
六角堂頂法寺は華道池坊の家元で、私を魅了したそのオブジェは二代池坊専好(1576~1658)の書画から再現された立花だった。
東京に戻った後もあの立花がどうしても忘れられなかった私は、思いきって池坊の家元に直接連絡をして思いを伝えた。花人になりたいわけではないが、写真家としてあの宇宙の様な、曼荼羅のような、天地人のようなバランス感覚をどうしても学びたいと。そんなわがままなお願いにもかかわらず、家元は師範の弟子を何百人も持つ、東京は世田谷にお住まいの大先生を紹介してくれた。こうして私は池坊の元で花について学ぶことになる。
稽古では向日性や陰陽の事など、華道における基本の知識を沢山教えていただいた。先生は厳しい方で、よく叱られもした。だが稽古のたびに花についての発見があり、私はどんどん華道の世界にのめり込んでいった。
何度も何度も叱られながら、何度も何度も古典の花を生けた。先生が私の生けた花に手を入れると、あっという間に凛とした華に変化する。「なんなのだ! このマジックハンドは!」と何度も驚かされた。
先生は御歳85歳の女性で、10歳のころから花に触れてきた達人である。75年の積み重ねとは凡人の到底及ばない境地なのだ、ということを思い知らされた日々でもあった。
そうした先生の心のこもった厳しい指導のおかげで、花についての様々な知識を得られただけでなく、皆伝まで頂くことができた。
華道を通して、私は初めて花と正面から向き合ったのだった。
少年時代の花の思い出といえば、耳に入ると聞こえなくなる、という迷信のせいで怯えたタンポポの綿毛や、授業で育てたチューリップの球根くらいのものだった。
だがひとつだけ、いまも脳裏に焼き付いて離れない記憶がある。小学校高学年の頃だった。ある仏教寺院で、蓮の花を象った色紙が参拝者の頭上高くに投じられ、ゆっくりとヒラヒラ落ちていくところを見たときのことだ。不思議なことに花にあまり関心の無かった私の心に、その映像はとても神秘的に美しく映った。
それは“散華”と呼ばれる、仏教の儀式だった。
散華といえば、釈迦仏の前世である儒童梵士が燃燈仏に華を散らして供養した話が有名だ。今でも寺院では法要を厳修するとき、仏を供養するために花を撒き散らし、道場を浄める。元々は蓮などの生花が使われていたそうだが、現在は蓮の形を象った色紙を代用する事が多い。あのとき私が見たのはそんな現代の散華だった。だが、私のなかを満たしたあの厳かな気持ちは、いまもずっと忘れられずにいる。自分が荘厳されていくかのような、あの感覚は私の人生にすくなからず影響を与えているはずだ。そんな思いもあって、この作品集に“散華”と題した。
花は私にいろいろな事を教えてくれる。可憐に咲く花、大ぶりに咲く花、謙虚に咲く花、俺を見ろ!俺を見ろ!という花。風雪に耐えて咲く花、むきだしの花、咲き急ぐ花、散り急ぐ花、いろいろな個性や性格があり、まるで人間そのものである。いや、人間を超越した森羅万象の因果の摂理が花には宿っているとすら私には思えるのだ。最後に、私のカメラのレンズを通過した”ものたち”へ、心より感謝申し上げたい。

宮原夢画

[作家プロフィール]
宮原夢画 / Muga Miyahara
1971 年 東京都出身。エディトリアル、コマーシャルで活動する一方、古典技法からデジタルまであらゆる表現を日々探究し、その興味は茶道、華道などの日本の伝統、民族文化にまで及ぶ。多角的な視点から独自のフィルターをとおした匂いのある作品を作り続けている。
国内での個展の他、2008 年ミラノ・GALLERIA CARLA SOZZANI にて[TOKONOMA]、2010 年にはミュンヘン・MICHEKO GALERIE にて[Invisible Layers]を発表。
2011 年 TOKYO PHOTO、2012 年 ART OSAKA、Paris Art O\'clock、神戸 Art Marche、Art Gent Belgie に参加。

Opening Reception : 02.28 (thu) ,2013 19:00-22:00


全文提供:hpgrp GALLERY TOKYO
会期:2013年2月28日(木)~2013年3月24日(日)
時間:11:00 - 19:30
休日:月
会場:hpgrp GALLERY TOKYO
最終更新 2013年 2月 28日
 

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