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笹川治子:case.D
レビュー
執筆: 黒木 杏紀   
公開日: 2012年 11月 02日

笹川治子 Haruko Sasakawa「case.D」DM画像

《フォトショップ》ミクストメディア

《フィクショナル ビュー》ミクストメディア

《プロジェクション》映像・ボード・黒パネルによるインスタレーション

画像提供:Yoshimi Arts

  私たちは科学技術の発展によって得られた便利さを当たり前のように生活に取り込んでいる。知りたい情報は即時手に入り、気温にかかわらず快適な室内で過ごすことができ、日常のルーティン作業は効率化し、死ぬはずの命でさえ長らえさせることができるようになった。一方、その裏で見落としているものはないだろうか。

  科学館を彷彿とさせる数々の展示物が無造作に置かれている。ロゴマーク「D」と印刷された入場チケット、整列柵、数々のパネル、都市模型に飛行機、ガラスの陳列ケース、展望鏡、黒い人影の群集。空間の白さも手伝ってか、白日の下にさらされた文明社会のもろさが垣間見られるようだ。輝かしい科学の発展と未来というよりも、そこには不安感、危うげなイメージが感じ取れる。
  笹川治子がYoshimi Artsで見せた作品は、彼女が手がけているシリーズ『case.A』、『case.C』に続く最新作『case.D』である。「笹川治子は、この社会で起こる出来事に対し批評的な視点を持ち、それらを記号的に可視化し、また、現象を様々な局面に置き直し、脱力的に表現することでリアリティーを表出する試みをしています。」※1とある。デジタルハリウッド3DCG科、東京藝術大学大学院先端芸術表現科出身というデジタル・カルチャーにかなり詳しい経歴を持ちながら、わざわざアナログ(脱力)化する手法に興味惹かれる。

  例えば作品『フォトショップ』。 画像を自由に加工する同名のソフトがある。 小さな木枠にはめこまれたものは、全体のほんの一部だったり、見せたくないものを隠したり、デフォルメされていたり。 どこまでが本物でどこからが偽物かよくわからない。 本来の姿を歪ませて映し出す。 全体が見えてこない限り本当のことを知ることはできない、仮に可能だとしても途方もない時間がかかることになる。 『フォトショップ』は改めて、私たちがいつも部分でしか見せられていないことに気付かせてくれる。
  本来ならば理想の都市の姿を、廃墟然として型どる『フィクショナルビュー』。 人間が自らの力を過信して、自然を押さえ込み、理想郷を作り出そうとする愚かさを表現しているかのように映る。山肌は削り取られ、ハコモノが配置されている。 福島の原発をイメージする施設もある。 おもちゃの怪獣は人間の心に住み着く虚栄心、支配欲、権力欲、欺瞞の象徴か。 我がもの顔で好き放題に暴れまわり、周囲を破壊する。 こんな怪物がいる場所に、いったい誰が住みたいと思うものか。 だが、目に見えない心の世界があるのならば、これが現実なのかもしれない。
『映像ボード・黒パネル』は虚構を映し出す映像に見入る人影を模したもの。 自分らしさや個の尊重が叫ばれる世の中で、自らが大衆化していく無数の個人の姿を浮かび上がらせ、 誰もが持つ一面であることをほのめかすようだ。 テレビなどの画面から無制限に垂れ流されているものをじっと見つめる様は誰しも覚えがあるはずだ。心の隙間を狙ってねじり込まれてくるものに注意しなければならない。

  科学技術なるものを手作業で作りかえ、なぞらえることで浮かび上がるものは何か。それは人の存在ではないだろうか。どれだけ理想を追求し素晴らしい科学の叡智をもってしても、人類の科学なるものを発展させようと、しょせんそれを作り使うのは人なのだ。人間が危うければ、安全・安心もなくなる。人間性を失った科学ほど恐ろしいものはない。そこに喜びや笑顔や満足感、充実感、希望の未来はない。
  素材にあえて、木材やペンキ、ニス、塩ビ、紙が多く使われ、構造物を手作業でハリボテ然と作った展示物の姿はあながち間違いではないように思われる。そのメッセージは文明社会に対する警告だ。

  笹川治子の『case.D』を見て以来、人間の幸せはなんだろう、どこに向かえば、何を目指せばいいのだろうと考えさせられている。科学技術によって人類は月への着陸を成し遂げ、インターネットの普及のおかげで世界中どこにいても、誰でも地球の裏側で何が起こっているのか瞬時に知ることができるようになり、どんなに遠く離れていても声が聞けて、姿を見ることができるようになった。でも、それで幸福かと尋ねられたら返答に困る。科学技術の進歩や文明の発展が必ずしも人類の幸せではないのだと思い知らされる。科学や文明を否定するものでもないが、それだけを追い求めても、決して埋まらないものがあることをもう一度見つめ直す必要がある、ということではないか。それが倫理観というものなのか、人間性なのか、思いやりなのかはわからない。
  作品『フィクショナルビュー』の中で福島をイメージした箇所を作ったという、作家の言葉※2の中に彼女の優しさを私は感じた。「忘れてないよ」の小さなメッセージ。私たちの生活を支えていたはずのものが、虚構であったことを思い知らされたのだ。一人一人が真実を知ること、向き合うことからきっと何かが始まると信じたい。悲しい昨日を、笑える今日に、希望の明日に変えていけるのは、人の力でしかないのだから。

脚註

※1 Yoshimi Arts ウェブサイトより 笹川治子 個展「case.D」紹介ページ L17~L19より抜粋
http://www.yoshimiarts.com/exhibition/20120901_Haruko_Sasakawa_case.D.html

※2 ギャラリーを訪れた際、作家が在廊中でインタビューができた。

 

参照展覧会

笹川治子:case.D
会期:2012年9月1日(土)~2012年9月17日(日)
会場:Yoshimi Arts
最終更新 2015年 10月 20日
 

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