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野口一将:Synthetic Garden
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2012年 7月 06日

画像提供:アートフロントギャラリー

野口は東京藝大で建築を学び、多様な表現を展開している。建築というのは基礎があり、重力や風雨に耐えうる内部的な構造体のような見えない部分と、貝の殻のような表になる表層とに分けられ、その空間を体感する私たちは表層をのみ体験しているといってよい。表層が印象を決め、見え方を決定する。そして表層から私たちは見えない中身の実態を想像している。アートという断面で見る場合、野口の視点において特に際立っているのは、殻としての見せ掛けの表面というものがどう成り立っているのかという切り口だと思う。例えば折り紙をテーマにした作品がある。紙であれば机の上に折り紙として存在する。その形自体が私たちにとっては大きくなろうとも、表象としてはステレオタイプの折り紙という見せ掛けの殻には変わりない。一方、巨大な折り紙の形をした野口の作品は彫刻と呼んでよいのだろうかという異物感がある。見せかけの殻が「折紙」であっても実態はいつの間にか「彫刻」に変化している。このように実態を伴わない見せ掛けでいかに幅広く遊べるのだろうか、という面白さが野口の作品からは感じられる。 今回の展覧会において野口はマスクキングテープで壁面全体を覆い、壁面をより建物の表層として扱い、本来のギャラリーとは異なった別の空間を作り出そうとしている。壁面はただの表層的な平面でしかない。その建築の殻の様な表層に数百年もの間、わたしたちは絵画という奥行のある擬似でしかない平面を作ってきたのである。その平面から出来上がった建築空間としてのギャラリーの壁面に野口はこの展覧会ではどのような殻を与えようとしているのであろうか。また、今回はその擬似壁面になってしまうであろう壁面に平面作品も展示される。ここに展示される作品は擬似空間内の擬似展示物になるのであろう。そういった二重、三重もの反転こそが野口の作品の面白さであろうと思う。二重、三重の反転はおそらくもはや根拠をもたなくなってしまった架空の空間に依存する平面作品になるのであろうし、二重、三重の反転を経てそこに作品として展示されるものは自律するものでなければ作品に見えないであろう。そのように重心をずらしつつも、野口一将の作品はきちんとアートと呼びうる重心のとれた作品だと思う。

アートフロントギャラリー 近藤俊朗

オープニングレセプション  7月13日(金) 18:00~20:00

全文提供:アートフロントギャラリー


会期:2012年7月13日(金)~2012年7月29日(日)
時間:11:00~19:00
休日:月
会場:アートフロントギャラリー

最終更新 2012年 7月 13日
 

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