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観○光ART EXPO 2011
編集部ノート
執筆: 平田 剛志   
公開日: 2011年 10月 23日

画像提供:EFAP JAPON

2009年から世界文化遺産である清水寺、元離宮二条城などを会場に現代美術から伝統工芸、デザイン、漫画まで多様なジャンルの作品が展覧される「観○光」展が今年は、清水寺、二条城、御寺泉涌寺で開催されている。

「観○光」は、「かんひかり」と読み、「観」と「光」のあいだに円窓を入れて心を見るという意味が込められている。そもそもなぜ、「観光」の言葉に「光」があるのか。「観光」の語源は、中国の古典『周易』のなかの「観国之光 利用賓得于王」(国の光を観るは、王に賓たる利あり)」に由来するとされる。現代におけるツーリズムとしての「観光」とは、だいぶ意味が異なるように感じるが、国の為政者、民それぞれが暮らしに「光」を「観」、「光」を示すことだとすると、その意味は現代でもさほどずれてはいないだろう。それでは、本展で作家たちはどのような「光」を発し、私たちはどんな「光」を「観」るのか。

本展の「観光」地は、二条城の二の丸御殿台所、御寺泉涌寺、清水寺経堂の3か所である。三会場の内、御寺泉涌寺は、華道や陶芸、表装、木工芸など伝統的な技法・表現が多い。対し、二条城会場は、木村了子、しりあがり寿、エトリケンジ、松尾高弘など映像インスタレーションや現代美術のフィールドで活躍する作家の作品が多く見られる。清水寺会場では、ドイツ人写真家、アンティエ・グメルス、ゲオーク・マテスの2名の作品が展示される。

国籍、年齢、表現ジャンルを問わずさまざまな作品が並ぶが、フラジャイルな糸やネットを素材とした作品が眼をひいた。御寺泉涌寺での足高寛美の《segment 1/0》は、人毛(白髪)を素材として、廊下の天井から吊り下げられた作品。ところどころに、髪の毛を織り合わせて模様が織り出されている。展示場所の暗さもあり、可視できないほど見えにくいが、微かに入る外光が作品のフォームと紋様を浮かび上がらせ美しい。

御寺泉涌寺と二条城でのエトリケンジ《金網の少女は生身の体の夢を見るか?》は、スチールネットを素材に少女を造形化した作品だ。二条城会場では、スチールネットでできた少女像に映像を投影し、彫刻と映像の融合を試みている。スチールネットにきらめくプロジェクターの「光」と金網の少女ごしに透過する映像の「光」が、少女の夢見る「世界」を体感させる。両作家とも素材のフラジャイルな特性を周囲の環境に沿わせ、寡黙ながらも存在感を示していた。

観光名所でもある京都の城や寺で開催される展覧会というのは、珍しくはない。そもそも、日本では寺社や城の襖絵や屏風絵として絵が描かれてきた。知恩院の長谷川等伯、大徳寺の狩野探幽などはよく知られている。本来、日本絵画の多くは、社寺で鑑賞されていたのだ。ならば、現代のお寺で現代美術が展示されてもおかしくはない。

だが、会場の特性や特徴を考慮したサイトスペシフィックな作品は鑑賞者を楽しませるものの、それぞれの会場の歴史性や土地への言及はあまり見られないのが、今後の課題だろうか。

最終更新 2015年 11月 01日
 

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