加藤苑:線描の重複 |
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Published: September 30 2011 |
There are no translations available. 1985年より続けてきた 優れた女性作家を支援するFemina展。加藤苑の独自の表現と技法は 日本画の深い研鑽を基礎に生み出されたものでしょう。麻紙の上にアクリル絵の具、岩絵の具、水晶末などを併用して、日本画の枠を越えた新しい表現を創り出しています。今展では20数点を展示します。 線描の重複 ―加藤苑の線― EN KATO / 加藤 苑 ( カトウ エン) 個展 コンセプト 現在は、空虚・矛盾などといった不可視的な要素を含む “存在の認識の曖昧さ” をテーマとし、作品は、“線描の重複” による人物像と、顔のない人物の“顔” を描いた「仮装シリーズ」の、異なる2 つの表現の作品を平行して制作している。 独特の線描を重ねることにより浮き出る何処か現実味のない人物像では、混沌とした中にも涅槃を感じさせる画面を意識し、時間の推移による動きの変化と、それに伴う存在の認識の曖昧さを表現している。麻紙を張った平面という限られた画面の中で、一義的な意味を確定しない形を可視的に提示する試みは、落ち着いた色味による安心感と裏腹に、何処か危うい不安定さを持ち合わせている。 「仮装」シリーズは、平面的・装飾的に描いた 顔のない人物の“顔” である。ネット社会と言われる現在の情報社会の中では、何かと「表現の自由」を掲げて無責任な意見や情報が行き交い、なかなか実態の見えない、顔の見えないものが多い。CG やメディアによるバーチャルな経験が自然と増え、どこか現実や自己に対する認識が曖昧になりつつあるのではないか、思うことがある。又 一部には、似たような格好やメイクをし個々の見分けがつかない人々や、表面ばかりを気にして繕う人々がいる。 そんな現代の空虚感を、ポップな画面で皮肉的に表現した。 平面をあくまでも平面として捉えた画面作りは、自分が日本人であるという意識からである。独自の平面表現を遂げてきた日本の美術・カルチャーは、古くは多神教を源とし在るものを在るがままに捉える、自然主義精神に由来するところがあると私は考えている。 又“線” は、実際には存在せず面上に於いて実現可能なものであり、引く・描く行為自体による身体性と、作家の見解や感情・癖等がより明確に表れる場所でもあり、存在というテーマに適する1要素であると考える。 全文提供: 加藤苑 会期: 2011年10月11日(火)~2011年10月20日(木) 11:30~19:00 ※最終日は17:00まで |
Last Updated on October 11 2011 |