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太田三郎:POST WAR 66 戦災痕
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2011年 8月 05日

《POST WAR 66 戦災痕 1.田町橋 岡山市北区中央町》紙、プリント | 画像提供:コバヤシ画廊 | Copyright© Saburo Ota

草木の種を和紙に封じ込めた作品「SEED PROJECT」、戦後の問題を扱った「POST WAR」など郵便切手を利用した作品や、オリジナル切手の作品を発表してきたことで、切手の作家としてよく知られる太田三郎の新作展です。

あまりにも不穏な社会、またミクロな日常でのもの言わぬ人々の声。それらを誠実にみすえ,切手状に作品化した太田三郎のライフワークの一つである「POST WAR」シリーズ。中国残留日本人孤児の肖像切手作品POWT WAR 50「私は誰ですか」を発表以来15年以上続くシリーズの新作展個展です。

今回は、作家の住む岡山の地に岡山市内に今も残る空襲の遺跡をモチーフにした作品 「POST WAR 66 戦災痕」20点を出品します。

POST WAR 66 戦災痕
岡山市は太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)6月29日未明、米軍B-29の爆撃を受けた。焼夷弾による空襲で市街地は焼野原と化し、子どもを含む1,737人が亡くなり、6,026人が負傷、被災家屋25,032戸、市街地の73%にあたる7.69平方キロメートルが焼失した。米軍第21爆撃集団の作戦任務報告によれば、現在の県庁通りと国道53号線の交差点を爆撃の中心点とし、半径1,200メートルの円内に138機が焼夷弾を投下して市街地を焼き尽くすように計画されていた。このことから、都市と人間を標的とした無差別爆撃であったことがわかる。先導機が岡山に到着して攻撃を開始したのが午前2時43分、攻撃終了は午前4時7分、攻撃時間は1時間24分とされる。14,789個の焼夷弾と焼夷爆弾によって岡山市は火の海となり、空襲警報が鳴らなかったこともあって、多数の死傷者を出すこととなった。爆撃の間、一機の迎撃機も飛び立つことはなく、高射砲の応戦もなかった。繰り返し攻撃を受けた市街地は猛火につつまれた。岡山市 が平成12年(2000年)1月から2年余りかけて戦災死傷者名簿の調査・作成を行った結果、氏名等で確認された戦災死者は2006年5月現在1,442人である。

終戦後岡山市は、復興への道を力強く歩み始めた。昭和27年(1952年)の10村合併により20万都市になり、市政発展の基礎を築くと、昭和34年(1959年)頃からは岡山駅周辺整備、商店街の不燃化、旧岡山空港の開港等、近代的都市づくりが急ピッチで進む。昭和47年(1972年)山陽新幹線岡山駅が開業、昭和63年(1988年)には瀬戸大橋線が開業し、以来交通の要となっている。2009年政令指定都市に移行し、2011年2月1日現在、市の推計人口は 709,850人となった。

岡山市は、日本国憲法に基づく平和な社会の実現を目指して、昭和60年(1985年)に「平和都市宣言」を行い、平成元年(1989年)には、岡山空襲のあった6月29日を「岡山市平和の日」と定め、平和講演会・岡山戦災の記録と写真展の開催、被災建築物説明板の設置等、さまざまな平和祈念事業を行っている。市のホームページ「岡山市内に残る戦災の遺跡」には、ひび割れた橋、神社の狛犬や灯籠、寺の山門などが詳しく紹介されている。2010年、それらを追跡調査すると、炎と轟音の中を逃げ惑う市民の姿がにわかに現実味を帯びてきた。空襲で亡くなった無念さや家族を失った悲しみは、戦後66年経っても失せるはずがない。「POST WAR」は「戦後」を意味する私の造語である。「POST WAR」に続く数字がリセットされぬよう、無限にカウントされることを願いながら、戦争に題材を得たこのシリーズを作り続けたい。
(「岡山空襲平和資料館冊子」「岡山市Wikipedia」「総務省ホームページ/岡山市における戦災の状況」参照)

太田三郎 OTA Saburo
1950年山形県に生まれる。
1980年よりコバヤシ画廊をはじめ個展多数。
1997切手の博物館(東京)、2000「存在と日常」CCGA現代グラフィックアートセンター(福島)
2000「太田三郎 2000-2001」西宮市大谷記念美術館、兵庫
2002クムサンギャラリー(ソウル)。2006ヘイリ・クムサンギャラリー(パジュ、韓国)
2008「太田三郎 HIROSHIMA 1990-2008」大原美術館本館/「有隣荘・太田三郎・大原美術館」大原家旧別邸・有隣荘、岡山/「太田三郎-日々」山形美術館、山形。
2009「太田三郎―蔵ニ居マス」勝山文化往来館ひしお(岡山)。「太田三郎の世界にようこそ」温海ふれあいセンター(山形)
2010太田三郎「出石町の家」アートスペース油亀、岡山

主なグループ展
1994年「人間の条件展―私たちは、どこへ向かうのか。」スパイラル、東京+芦屋市立美術博物館。
1996年「心を癒す植物―アート・ボタニカル・ガーデン」目黒区美術館。
1998年「メディアローグ―日本の現代写真’98」東京都写真美術館。「アート、生態系―美術表現の「自然」と「制作」宇都宮美術館。
「Donai yanenn! Et maintenant! (どないやねん!)」国立高等美術学校(パリ)
1999年「Zeitgenossische Fotokunst aus Japan“Contemporary Photographic Art from Japan”」Neuer Berliner Kunstverein(ベルリン)。
2000年「Yume no Ato Contemporary art from Japan - 」Haus am Waldsee(ベルリン)、Staatllche Kunsthalle、(バーデン バーデン)。
2002年「2002つやま芸術祭」津山市(岡山)[2004、2005]。「イレブン&イレブン コリア・ジャパン・コンテンポラリー・アート2002」省谷美術館(ソウル)
2003年「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2003」越後妻有6市町村。
2004年「'04寿限無 Super Multiple Art Project」現代美術製作所、東京 主催:富士ゼロックス株式会社、ART BY XEROX/
2005年「空と大地を旅する 太田三郎・栗田宏一展」京都芸術センター。
2006年「バードネット―北帰行」さかた街なかキャンパス、「バードネット―新たなる旅立ち」酒田市公益研修センター多目的ホール(山形)
2007年「ヘイリ・アジアプロジェクト2 日本現代芸術祭」ヘイリ芸術村、パジュ市、韓国/
2008年「アート屋台村」おかやま県民文化祭、岡山
2009年「自宅から美術館へ 田中恒子コレクション展」和歌山県立近代美術館、和歌山/
「KAMI―静と動 現代日本の美術」ザクセン州立美術館版画素描館、ドレスデン、ドイツ
2010年「PERSONAL STRUCTURES TIME-SPACE-EXISTENCE」Kunstlerhaus Palais Thurn und Taxis、Bregenz, Austria/
「マイ・フェイバリット―とある美術館の検索目録、所蔵作品から」京都国立近代美術館、京都/
「ROKKO MEETS ART 芸術散歩2010」六甲山一帯 、兵庫/「岡山・美の回廊」岡山県立美術館、岡山

主なパブリックコレクション
文化庁、東京国立近代美術館。国際交流基金。町田市立国際版画美術館。アルベルティーナ版画美術館(ウィーン)、。国立ドレスデン版画素描館。釜山市立美術館。ソウル国立現代美術館他多数収蔵

全文提供: コバヤシ画廊


会期: 2011年8月8日(月)-2011年8月20日(土)
会場: コバヤシ画廊

最終更新 2011年 8月 08日
 

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