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林勇気:afterglow
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2009年 1月 16日

copy right(c) Yuki HAYASHI / Courtesy of neutron tokyo

展示会場: neutron tokyo(1F main gallery+2F salon) 関西での活躍が目覚ましい映像作家の林勇気は、実はこれまでにも国際映画祭や東京でのグループ展・個展も経験するなど活躍の場は関西だけではなかった。しかし新作を関西で精力的に発表してきたという経緯がある為、新作を携えての東京での個展はこれが初めてである。初めて見る人をも魅了する映像の数々。今回の個展で彼の作品に溢れる魅力が爆発することは間違いない。 映像作家と一言で括ってみてもその形態は様々である。実写映画さながらのもの、映像制作における多種多様な機能を駆使して作られるもの、CG を多用したもの、手描きの絵をぱらぱらとめくるタイプのものなど、その種類を挙げればきりがない。多くの映像がある中で彼の作品は、一見するとCG のようにも見受けられるが違う。彼が映像に使用しているのは写真だ。カメラで撮影されたものの中から一つのモチーフを切り出し、それらを組み合わせて一つの映像へと変貌させる。写真を撮るという行為の中には「空間・時間」を切り取るという意味合いが含まれている。自分で選んだ部分、バラバラになった破片をまた繋ぎ合わせて一つの映像へと再生する。それはまるで魔法をかけたかのように、止まった時間が再び時を刻みだす。彼が作り上げた世界の時間は、私達の時間の流れと同じなのだろうか?はたまたその世界では一定の時間が流れているのだろうか?その世界には独自の時間が流れているとしか思えない。ただその世界において一つだけ確かな事は、様々な時間、色々な場所が確かに存在しているということだ。 そして彼の作品の中で特徴的なものが、映像の静止画像があるということだ。それら静止画像は映像の中から選ばれた一場面である。映像の中の景色、風景画のような映像。カメラで撮影されることによって止められた時間・空間を、映像にすることで再び時を刻みだす。色々な時間と空間が存在する世界の風景を、まるでカメラで写真を撮るかの様に静止画像にする。そしてまた世界の時間を止めてしまう。その景色の時間は本当に止まってしまったのだろうか?再び動き出すのではないかと期待させられるその風景は、映像とはまた違う次元で自立した一つの作品として壁に並ぶ。また彼の作品において短い映像が「ループ」し続けるというのも作品の醍醐味である。本当に同じ映像が繰り返されているのかどうかと、次の変化を期待して見続けてしまう。淡い期待とは裏腹に変わった様子は微塵もなく、ただひたすらに短い映像が繰り返される。その短い時間の映像内を、ちょこちょこと動き回る人(達)による小さなハプニングが起こる。彼らには感情というものがあるのかどうかが不思議なくらい淡々としている。感情が希薄な彼らの動き、無邪気な仕草、自由な動作、遊び心。登場人物のそれら一つ一つの小さなアクションが見る者を釘付けにする。そんな少しのドラマティカルな展開を次も期待して映像を見続ける。そして当然のように起こってしまう事件。彼が仕掛けた小さなドラマに大きく魅了される。それはとてもささやかではあるが心の奥底で小さな灯をともすように暖かな感情が広がる。 心の中の小さな灯火はギャラリーからの帰り道、いつもの風景をもキラキラと輝かせてくれる。そんなギフトが林勇気の映像にはちりばめられている。新作「afterglow」(訳:残光・余韻)。今回、彼はどんな素敵な残り香を用意してくれているのだろうか。

※全文提供: neutron tokyo

最終更新 2009年 3月 04日
 

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