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坂川守:終わりの日は近い!
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2011年 6月 17日

画像提供:児玉画廊 | Copyright© Mamoru Sakagawa

昨年、個展「Press」(児玉画廊|京都)に続き、G-Tokyo2010(森アーツセンター, 東京)、10年間の制作を体系的に紹介した個展「WORKS 2001-2010」(児玉画廊|東京)そして、今年に入ってからはVOCA2011(上野の森美術館, 東京)への出展など、2004年のデビュー以来続く密な発表スケジュールをこなしながらも、パターンやバリエーションに逃げる事無く、常に進化しつつ坂川固有の表現を深めてきました。今回、近年制作の主軸となっている布のコラージュによるタペストリー作品を中心に、ペーパーコラージュなどを交えて構成されます。有名な聖書の一節で、「金持ちが神の国に入るより、駱駝が針の穴を通る方がまだ易しい。」というものがありますが、今回坂川は、こうした物の喩えのようにして説かれた聖書の一文から想起される情景を作品にしています。これまでの作品からすればまるで趣を違えますが、その理由を知るには坂川のこれまでの経緯を改めて辿る必要があります。

個展「WORKS 2001-2010」において如実に示されたように、坂川の作品はこの10年間で非常に大きく変遷してきました。最初期にして最も衝撃的な作品「Rocks」あるいは「Cut」のシリーズにおいては人間の肉体に著しくフォーカスし、画材や素材によってさえもその筋肉や皮膚の質感を生々しく感覚的に追求しました。次第に肉体の外殻を離れ、筋繊維や血管などにモチーフがシフトし、描写も線を中心とした抽象化された画面へと変化します。合成皮革やガーゼなどを支持体として、より直接的に皮膚あるいは人体を想起させますが、むしろ色彩においては華やかで、線描も軽やかな曲線を主としていて、知らねばそれとは全く看破されない程にテーマと表現が乖離しています。この差異がその後、大きな変化を生みます。また坂川に長女が生まれ、乳児が手に取る玩具や子供向けのテレビ番組など、自身を取り巻く生活環境の中に新たに加わった変化も作品に大きな影響をもたらしました。個展「Sweat」(2007年)以降、突如としてそれまでのリアリティのあるモチーフから玩具やキャラクターなどを新たなモチーフに選びます。肉体を意識させる直接的な描写は無くなりましたが、絵具で一度モチーフを描写し乾く前に押しつぶしてできるそれは、元の玩具の可愛らしさやキャラクターの雰囲気を留めた色鮮やかなマーブリングのようでありながらも、同時に、どこか暗喩めいた生々しさを隠し持ち、肉体としてのイメージを内包していました。そして、昨年の個展「Press」では子供の成長に合わせるように、公園や外遊び用の玩具、あるいは人形やぬいぐるみなどのモチーフへと更に移り変わり、それと同時に今回の個展へと続くタペストリーのシリーズにも着手します。このタペストリーの作品では、布や紙に描いた絵をパーツに分断し、それらをちりばめるように縫い合わせ、コラージュし、ドレープを作り、張りつめるように展示する事で美しく伸びやかな造形を作り出します。

布地の鮮やかな色彩や図柄と融合するように、玩具や動植物のモチーフが描かれ、技法としてはやはり絵具を押しつぶしたり滲ませたりしてモチーフの輪郭を崩してはいますが、そこに切迫した生々しさはもう感じられません。おそらくは坂川の作品における肉体というテーマを一つの出発点とするならば、既に、肉体ではなく精神あるいは人の内面をテーマにするべき地点へ到達しているからでしょう。特に「Press」展以降、喜怒哀楽の寓意的あるいは象徴的な表現であったり、夢や幻の様な不条理な感覚を呼び起こすコラージュの構成など、心をわざと揺さぶるような作品を多く発表しているのはそれに起因するのでしょうし、今回聖書を引用するにあたっても、示唆に富み、心を揺り動かすものの象徴として作品の典拠としています。聖書の引用、それ自体は何より坂川自身にとっても終着点への一つの道標となっているのでしょう。

真正面から肉体に向き合い、人間についてその外殻から理解し、体感的に捉えようとした「Rocks」から、ついぞ心理的な表現へと推移して行く様子は、坂川自身が作品制作を通じて絶え間なく考察し続けてきたであろう、何をもって「人」と成すかについて答えを求めあぐねた足跡そのものではないかと思えます。そしておそらくは坂川はいつぞやに乖離し、二重に作品を構成してきた肉体のイメージと表現上の差異をここにもう一度一つに包容するための皮革を作らねばならなかった、そう思えばこそ、今、坂川の作品を見るに、まるで猟果として掲げられた毛皮か鞣し革かのようにさえ思えるのはおそらくは誤りではないでしょう。

「終わりの日は近い!」という警句とも叫びともとれるこの言葉には、終末論的悲観ではなく、むしろこれまでの制作によって積み重ねて来た坂川の世界観において何かが今ここで結実しようとしているのだという、決意にも似た強い意志を感じずにはおれません。

全文提供: 児玉画廊


会期: 2011年6月18日(土)-2011年7月16日(土)
会場: 児玉画廊 | 京都
オープニングレセプション: 2011年6月18日(土)18:00 -

最終更新 2011年 6月 18日
 

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