| EN |

栗原一成 個展:盲視 / Blindsight
展覧会
執筆: 記事中参照   
公開日: 2008年 11月 14日

《盲視(Blindsight)》(2008)、acrylic on canvas、60.6×50cm copy right(c) 2008 Issei Kurihara and Tokyo Gallery + BTAP

およそ5年ぶりの個展となる本展覧会では、2008年に制作された新作絵画9点を展示いたします。 栗原一成は1995年に多摩美術大学大学院美術研究科を修了後、数々の個展・グループ展で絵画やインスタレーション作品を発表してきました。また2005年に鎌倉にアートスペースGallery Stump Kamakuraを7名のアーティストとともに設立するなど、作品制作以外においても多岐にわたる活動を続けています。 栗原の作品には画面の中心が存在せず、ひとつひとつのイメージは画面上で彷徨しているかのように見えます。人間なのか動物なのか植物なのか、それとも単なる形象なのか、一目見ただけでは判断できない複数のイメージが淡いながらも鮮やかな色彩によって描かれ、またキャンバス上の所々には文字が散りばめられています。栗原の作品において、他の絵画を見るように画面構成を理解しようとすることは、不毛なことかもしれません。描かれたイメージ・色彩・ことばは、全体を構成する一要素として画面上に定着しているというよりも、枠外へと浮遊していくかのようです。画面上のイメージを目で追って見ているうちに、まるでキャンバス上にはない、作家の知る別の世界を見せられているような感覚へと誘われるのです。 栗原は自身の制作過程について、次のように述べています。 「かたをつけないで絵を描きつづけたい。何故ならその持続性の先には、自分とかあなたとか、そういった存在がどうでもよくなるキラキラした光があるからだ。」 多くの作家は絵画を制作する際、制作の一つ一つの行為がイメージに結び付くように自身をコントロールしながら描きます。コントロールすることの積み重ねによって作品が完成され、それによって作家は完成したという実感を得ることができ、楽しむという感覚に至ります。しかし栗原は、自身をコントロールすることを止める、と言います。「かたをつけないで絵を描く」とは、自身をコントロールすることを放棄し、さらにさらにと次の行為へと向かって描いていくことです。本来、人間は自分自身を完全にコントロールすることはできません。したがって自分一人の力のみで描くことも不可能だと言えます。栗原はそういった事実を強く自覚して、かたをつけないことに徹しているのだと言います。その理由を、作家は以下のようにコメントしています。 「描く行為と行為を繋いでゆく判断が、自分のテイストの中での出来事、つまり自分が自分自身をコントロールできる範囲内の出来事に留まるなら、その世界はあまりにも自我に満ち溢れた非現実的な世界だ。私はそんな薄っぺらな世界に身を置きたくない。その先にある世界を見たいのだ。その先にある世界とは、自我を超えた世界、遠い昔の私たちが忘れてしまった理の世界、子供の頃はじめて自転車に乗ることができたときに見た世界、でも人にどうやって乗れたか聞かれても説明できなかったあの感覚が湧き起る世界、のことである。」 栗原の作品から画面の枠外へと無限に広がる印象を受けるのは、作家が独自の制作スタイルを通して見た世界を作品が体現しているからかもしれません。鮮やかな色合いと浮遊するイメージで彩られた作品、そして「かたをつけないで描く」行為の連続を通して作家が見た世界を、是非この機会にご高覧ください。
※全文提供: 東京画廊+BTAP

最終更新 2008年 11月 05日
 

関連情報


| EN |