| EN |

TUAD mixing! 2010 みかんぐみ×屋代敏博 連続する時空間
レビュー
執筆: 田中 みずき   
公開日: 2011年 3月 03日

    昨年の夏、4人組の建築家グループ「みかんぐみ」※1 と写真家の屋代敏博の展覧会が山形県で開かれた。みかんぐみの竹内昌義と屋代が教鞭をとる東北芸術工科大学内7階のギャラリーが展覧会場である。
    東京から訪れた私には、山形駅に着いてからバスに乗り、景色をぼんやりと眺めながら会場に向う時点から、この展覧会が始まっていたように思える。車窓から観える風景は、駅前の背の高いビルの連なりから、道を進むにつれ小さな建物が並ぶ町になり、次第に山々へと変化していく。山形市内を通る時に見えた低く平らな建物が並ぶ町並みと、バスの乗客が穏やかに会話をしている空気の印象とが重なるように思えた。いつの間にか大学に着き、エレベーターでぐっと上まで昇った。

fig. 1  みかんぐみ:展覧会会場写真
Photo by Kang Chulgyu

fig. 2  みかんぐみ:展覧会会場写真
Photo by Kang Chulgyu

fig. 3  KOTOBUKIYU TOKYO 2007

fig. 4  MOMONOYU YAMAGATA 1994

    みかんぐみの作品は、山形市街地を白い発砲スチロールで模したミニチュアモデル。展示室内中央に貫通しているエレベーターをぐるりと囲むようにして設置されていた。上空から市内を見下ろすような世界が広がっているのだ。鑑賞者は作品に目を向けるうちに自然と会場を回っている。また、作品の所々に、小さな青い芽を出す植物が植えてある。鑑賞者が芽に水をあげられるようになっており、展覧会会期内に芽が育っていくのだ。
     何度も訪れて芽が成長していく様子を見たり、その姿を想像したりするのも面白いが、この芽は鑑賞者の視線を誘導する装置でもある。芽を覗き込むために作品に近付くと、無意識の内に街並みをしっかりと眼で捉えてしまう。巨人の視点になってミニチュアモデルを回っていると、作品にとられた範囲が何を基準に切り取られたのか不思議になってくる。地元の人の「街」の広さの感覚なのか、何か特徴のある建築を入れるために採用された範囲なのか、もっと他の理由なのか。説明は何もない。ただ、ミニチュアモデルを歩きながら見て行くうちに、実際の土地を歩いている気分になってくるから不思議である。バスから見た山形市の様子が思い浮かぶ。

    この作品が並ぶ空間の壁4面を覆うのが、写真家・屋代の作品「銭湯シリーズ」だ。撮られているのは銭湯。男湯と女湯の無人の浴室を写した写真1枚ずつを2枚1組として展示している。男湯側も女湯側も、入口から室内奥の、水の入っていない浴槽を向いて撮影されたものだ。男湯の場合は少し女湯のほうを向いて撮影し、画面半分程に男女の湯を遮る壁が映りこみ、女湯の場合も同様に男湯に体を向けるようにカメラが向けられている。男湯、女湯の2枚の写真は、この男湯と女湯を遮る壁の部分をつなぐようにして撮影され、並べられているのだ。見慣れたはずの風景が少し変えられているだけで、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなる。
    「銭湯シリーズ」は大学の卒業制作をきかっけに1980年以降、撮影され続けている。ある一点を軸にして等距離から撮られている写真は、後に自ら回転し、黒い渦巻き状の線と化した姿を撮影した「回転回」シリーズへと繋がるようで興味深い。みかんぐみの作品の、街を廻る体験と、屋代の写真の回転とが合わさり、「回る」という体験が出品者と鑑賞者に共有される展覧会と言えるかもしれない。
    しかし、出品者間で共有されるものがある一方、コンセプトが乖離している部分も垣間見える。例えば、みかんぐみが山形市そのものをテーマとしたのに対して、屋代が写しているものは実は山形県以外の銭湯を写したものが半数以上を占めている点だ。出品された全49組の銭湯のうち、東京都のものが20軒で、これ以外にも新潟県や宮城県などの銭湯もあるが、山形県の銭湯(料金や組合制度の違いにより公衆浴場を含む)を写したものは13組である。都内の銭湯の中でも目黒区のものが16軒を占め、出品された山形県全部を合わせた銭湯よりも多い。
    「銭湯」というと、なにやら古き良き日本全土共通の国民的ノスタルジーを感じる風潮もあるようだが、実は各地方によって建築様式や、湯船の位置、タイル絵やペンキ絵の有無などが違っている。例えば、東京では寺院のような建築であったり、湯船が浴室奥にあったり、ペンキ絵があるといった特徴があるが、関西では寺社風の建築は少なく浴槽の位置も浴室真ん中にあることが多く、ペンキ絵の代わりにタイルの飾りがほどこされていたりする。また、そのほかの地方でも、浴槽が小さめであったり、湯船の位置が違っていたり、壁の素材や色彩が違っていたりといった差がある。利用客にとっては、通っていた銭湯は第二の家のような存在でもあり、地域性が非常に強く意識される空間だろう。東京の銭湯が多くを占める展示は、みかんぐみが山形市街地をモチーフにした作品を展示していたことを鑑みるとコンセプトがぼやけるように思える。山形市には銭湯が一軒しかない※2 ため撮影すべき銭湯所在地を広げたのだとしても、少々バランスが悪い。過去の他県の作品を出すことが今回の展示に必要だったろうか。※3 みかんぐみの作品の回りに展示することで、市外の世界をも表現するということであれば、もう少し色んな県の銭湯を取り上げても良いようにも思えてつかみきれない。
    展覧会場で配布されたパンフレット※4 では、キュレーターによって、鑑賞者が水をやって植物を育てるみかんぐみの作品と、銭湯を撮影した屋代の作品に通じるコンセプトとして「水」という共通点が挙げられていたが、みかんぐみの作品は様々な要素を含んでいる。鑑賞者が水をやったとしても、必ずしも「水」という物質に目が向けられるかは疑問だ。前述と重なるが、与えて育むという行為や、小さな街を自分で形成していく疑似体験、芽が成長していくという時間の流れ等の点に注目する鑑賞者も多いだろう。

    疑問を感じながら会場を出て、終電を逃さないようにと飛び乗ったタクシーで一筋の答えを得た。運転手は、地元の人だと言う。初老の運転手は穏やかな口調で、「遅くまで大変ですね」とやさしそうに話しながら、商店街のアーケードを指して地元の冬の雪の大変さなどをぽつぽつと語っていた。へえ、と実感の持てないまま返事をし、こちらも今日観てきたものについて語る。運転手に、出品者の先生たちもタクシーで大学へ行くのかと聞きながら、出品者もまた、外からこの地へ来ている人物たちだったと思い返した。外から来て、「山形」像を求めていた自分と、上空から市内を捉えたみかんぐみと、屋代の山形県や慣れ親しんだ目黒の銭湯を並べた作品には、山形を捉えようとする模索の繋がりが見えるように思えた。まだ山形について何も見ていなかったのだと知り、帰った後の今もまた山形を訪れたくなっている。地元の人とも、見てみたいと思う展覧会だった。


脚注

※1 「みかんぐみ」は、展示会場となった大学の建築・環境デザイン学科で教授をしている竹内が、建築家の加茂紀和子、曽我部昌史、マニュエル・タルディッツと1995年に立ち上げたグループである。戸建住宅から小学校、ライブハウスなどの建築設計はもちろん、家具やプロダクトのデザイン、美術展への参加などで活躍している。

※2 1994年に撮影された山形市の「桃の湯」という銭湯の写真(fig. 4)が出品されたが、後に廃業となってしまった。

※3 2010年7月27日、18:00~19:30に、展覧会場にてみかんぐみの4人と屋代敏博が語ったアーティストトーク内での屋代による発言では、大学で展示をすることを考慮して学生生活と縁深い卒業制作として撮り始めた作品「銭湯シリーズ」を展示することにしたという。それで過去の作品も多く展示したとも考えられるが、全作品を展示していたのだろうか。その説明等が一般の来場者にもわかるようになっていて欲しい。

※4 和田菜穂子『「連続する時空間」‐水とともに生きる‐』、2010年7月


参照展覧会

「TUAD mixing! 2010 みかんぐみ×屋代敏博 連続する時空間」
会期: 2010年7月15日(木)~2010年8月1日(日)
会場: 東北芸術工科大学7階ギャラリー
展覧会公式ウェブサイト: http://www.tuad.ac.jp/museum/exhibitevent/index3.html

最終更新 2015年 10月 21日
 

| EN |