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梶原航平:Wildfire
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2011年 2月 24日

画像提供:児玉画廊
Copyright© Kohei Kajiwara

梶原は2010年に個展「Flashback」において、おそらく作家の初期を代表する事となるであろう「パレス」と題された一連のシリーズで、他と一線を画する独自の世界観を余す事無く描き、反響を得ました。

「パレス」シリーズはそのタイトルにあるように宮殿や神殿を舞台に繰り広げられるまるで夢かSF映画のような「あり得ない」ワンシーンを描いたものです。梶原のペインティングの一つの特徴でもあるスナップショットのようなスピード感のあるやや荒い筆触は、その非現実的な情景をかえって生々しく思わせるに大きな役割を果たしていました。敢えて大雑把な表現をすれば、「パレス」シリーズは一つの様式であり、梶原の言うように構図や色彩にルールを設けてそれに基づいて描く事、即ち着想の自由に対応するべきはずの描画の自由に制限を課すことで、自らコントロール出来ない状態から新しいイメージを探り出す為の試金石であるとも言えるでしょう。今回発表される新作では、「パレス」シリーズとは異なり、その(様式的な)制約を排除して描いたのだと梶原は言います。それを踏まえて今回の新作を見るに、例えば、雑誌やネットの画像を元に描くという作品では、まるで目新しくもないその行為が俄に別のニュアンスを帯びてきます。イマジネーションに制限を課した状態で描くこととそうでないことの比較において、梶原自身の表現上でのダイナミクスを追求するという表立った目的とは別に、「描写する」ことと「表現する」こと、ともすれば背 反する絵画の二面性のバランスを何処で取るか、自らの見極めを完遂しようとしているように思えます。90年代のニュー・フィギュラティブ、70-80年代にはニュー・ペインティング、さらにはシュルレアリスムと、過去を遡れば多くの答えが提示されてきたように思いますがしかし、具象が殊更マーケットにおいては飽和しつつあり、ますますシビアに選別される運命にある状況の中で梶原の作品が異彩を放つのは、そこに未だ示されていない何かが潜在するからに他ならないでしょう。

「Wildfire」が敵陣に投げつける炎を意味する如く、この展覧会においては、梶原の放つイメージに我々の視覚は無防備のままに晒されるばかりです。「走馬灯現象の空気を纏わせる」とは自らの作品を指した梶原の表現ですが、この言葉は恐らくは幻想や錯視という類いの意味でもなければ、シュルレアリスト達の標榜したあくまで現実に即するという意味での「超現実」の感覚とも異なるでしょう。記憶と現実の重ね合わせ(Flashback)、そして「描写」とは異質なイメージの強制的な投入(Wildfire)を経て新たな視覚についての概念を模索し、まるで一瞬の「走馬灯現象」のように絵画の中においてイメージを彼我の別なく併存させようとする意思を示しているように思えます。

※全文提供: 児玉画廊


会期: 2011年2月26日(土)-2011年4月2日(土)
会場: 児玉画廊 | 京都
レセプション:2月26日(土)18:00 -、19:30より杉本圭助パフォーマンス: chanting 9「の石」開催

最終更新 2011年 2月 26日
 

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