東信:hand vase |
レビュー |
執筆: 小金沢 智 |
公開日: 2009年 11月 23日 |
こういう逸話がある。豊臣秀吉が千利休の庭に朝顔が美しく咲いたのを聞いた。秀吉は利休の元を訪れることを望み、その運びとなったが、訪れれば利休の庭から朝顔はすべて摘み取られていた。困惑する秀吉が利休に招かれ茶室に入ると、床の間にたった一輪の朝顔が活けられていた。利休は、その一輪の美しさを際立たせるために他のすべてを摘み取ったのである。 逸話の真偽や出典はこの際問題にしない。事実か否かというよりもまず、そういう話が今の今まで伝わっているということが重要であり、そういう美意識について私は今問題にしたいのである。ある美しさを強調させるための利休の作為は、演劇的に過ぎる所作であるが、わかる。 東信は今回初めて制作したある手のかたちの花器≪hand vase≫(波佐見焼一輪挿し花器、W100×D75×H225mm、2009年)をギャラリーの床に百個展示し、そのうちの一つにだけ水仙を活けた[fig. 1][fig. 2][fig. 3]。一輪刺しである花器に活けられた水仙は、すっと伸び、朝顔の逸話同様美しさが強調されている。≪hand vase≫は既に2009年1月にAMPGで発表されているが、その時はすべての「手」がそれぞれ花を携えていたから対照的である。床の間ほど密な空間ではないがコンクリートによる床とまっ白の壁面もまた、その効果に一役買っているようだ。通常地面に根を下ろし生長する植物だが、地面から切り取られた水仙の次なる場は人の手であるということか。手は東のそれを象ったものである。 ただ東によるこのインスタレーションは、ただ美しさだけを強調したものではない。AMPGでの発表でも今回のかたちと同様の手が発表されていたが、それは中指を立てた挑発的なかたちにほかならない。その当時は他にも様々なかたちがあったため、私はとりわけそれだけの意味を読み取ることができなかったが、今回はすべてが中指を立てたものである[fig. 4][fig. 5]。ここで活けてある花が水仙である意味を読み込む必要がある。水仙の学名である「Narcissus」は、ギリシア神話にある、水面に写る自分の顔に見とれてそのまま衰弱死してしまった美少年ナルキッソスに由来する。つまりここで東が中指を立てている対象は、古今変わることがない些末なナルシシズムだ。 しかし、私は作品に籠められているメッセージ性を知ってもなお、花器と花の美しさに立ち戻らないわけにはいかない。整然と並べられた花器は、百個という数のためか見ていると次第にそのかたちから意味が失われていく。いつの間にか手のかたちというよりは花器のかたちとしてそれらを見るようになる。花器の使命とは言うまでもなく花の生きる場であることである。野に咲く花はただそれだけで美しい。ならば、摘み取り、活けるその行為全体で、元来の美しさを損なわせず、かつ美しさを引き立てなければならない。花器とは、そのプロセスの中できわめて重要な位置にあると言っていいだろう。花にとって花器は第二の地面であると言ってもいいかもしれない。 突き立てられた中指は爪の部分が空洞になっており、その部分に水を入れ花を挿すことができるようになっている。今回の水仙のような、しゅっとした花はだから映える。東のゴツゴツとした大きな手から突き出ているのは、繊細で可憐な水仙一輪だ。手の甲側ではなく、手のひら側を正面に作品を見れば、まさに指から花が生えてきたようにも見えるではないか。手が地面と化している。 最後に東のステイトメントを引用しよう。
私のこの手は、人を傷つけもすれば抱き寄せもするだろう。穢れとして扱われることもあれば、聖なるものとして扱われることもあるだろう。「手」が内包せざるを得ないこの両義性を、≪hand vase≫は許容する。「私」のナルシシズムによってではない。「花」の美しさによってである。 |
最終更新 2015年 11月 02日 |
かつてAMPGで発表した《hand vase》が波佐見焼の一輪挿しとして生まれ変わった。東信初の花器の発表である。様々なポージングだった手はある一つのかたちに落ち着き、白い手袋をはめられていた手は純白の焼き物と化す。 ただそれでも変わらないのは、その手が常に花とともにあるということだ。花が挿されることで完成する花器のために、私は花を手に入れたい。