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三瀬夏之介:問月台
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2009年 10月 08日

    遡ることおよそ二年前、中京大学アートギャラリーC・スクエアで企画された「日本画滅亡論」展(2007年9月18日〜10月20日)に三瀬夏之介はキュレーターの森本悟郎に依頼され、≪日本画滅亡論≫(和紙・墨・胡粉・金箔・アクリル・印刷物コラージュ、182.0×242.0cm、2007年、作家蔵)を出品した。同年三月にイタリアへ渡ってから展覧会のために描き上げられた新作は、「日本画」の「滅亡」というテーマもあってか、「日本」と「イタリア」の景が不気味に融合する混沌とした作品に仕上がることになる。同時期に発表された≪日本画復活論≫(和紙・墨・胡粉、182.0×242.0cm、2007年、作家蔵)と比べると同作品が発する終末論的な光景がより際立つが、ともあれ二年前、三瀬がC・スクエアでそのような作品を出品しているということをここではまず思い起こしておきたい。私は再び同所で、今回は個展という形で企画された三瀬の展覧会を、どうしてもあのときのあの作品と比較しないではいられないのである。

fig. 1 「三瀬夏之介: 問月台」展、風景写真より(2009年9月7日〜10月10日)|画像提供:中京大学アートギャラリー C・スクエア

    では個展「問月台」(2009年9月7日〜10月10日)[fig.. 1]で発表された作品は、具体的にはどのようなものだったか。渡欧以来三瀬の作品はそれまでのコラージュ的要素に加え素材としての墨に力点を置いたものが多くなり、今回も基本的にはその流れを汲んでいるが、作品の性質はそれから大きく変化している。たとえば先の≪日本画滅亡論≫や≪日本画復活論≫はまずテーマがあり、そのテーマもまた「日本画」という自身が置かれている(置かれていた?)美術史上の一ジャンルに射程を定めたものだった。その後発表された≪君主論-Il Principe-≫(2007年)や≪ぼくの神様≫(2008年)、あるいはVOCA賞を受賞した≪J≫(2008年)も、自身を核に、その周辺的、社会的関心を作品に反映しているように思われる。ドゥオーモや日章旗、大仏に巨人に富士山など、具象的な形態が画面に多く登場することがその特徴である。しかし翻って「問月台」で発表された作品を見ると、富士山らしき山が認められる≪ハヨピラ≫(2008年)をのぞき個々の作品にそのような要素は認められない。いずれの作品も素材になっている墨の濃淡によって形象化された山水らしき風景がほとんどであり、一部花火のような描写が認められるものの、墨または継ぎ接ぎされた紙が織りなす全体的なイメージがそのまま作品の印象となっているのだ。ギャラリーの展示壁面の高さが足りないためか意図的にか、おそらくその両方だろうが、天井にまでその作品が浸食するかのように展示しているようなものまである。

fig. 2 ≪千歳≫2009年|和紙・墨・胡粉|300.0×365.0cm|画像提供:中京大学アートギャラリー C・スクエア|Copyright © Natsunosuke MISE

    そもそも三瀬は小さなパーツを組み合わせていくことで作品を作り出す手法を採用しているが、結果としてできあがる作品のフォーマットはこれまでスクエアないしオーバル状だった。すなわち手法は独自のものでありながらフォーマットは既存の絵画のそれから外れることはなかったように思われるが、今回はその「絵画」が「絵画」として見られるための前提を意図的に逸脱しているような作品が多い。いわば立体的なのである。会場で実見した≪千歳≫(和紙・墨・胡粉、300.0×365.0cm、2009年)[fig. 2]は、三瀬の額装ではない作品の多くがそうであるようにいかにも無造作に虫ピンで要所が留められているのだが、私はこれほど三瀬の作品がコラージュによって作り上げられているということが一見してわかる作品は目にしたことがない。全体としてのかたちは山の景である。そして作品下部に注目したいが、コラージュされた断片と断片の間に空間があるために、山が宙に浮かんでいるかのようであり、まさにそのような想像をめぐらすことができる。照明のあたった下部のコラージュの床に写る影がまるで鶴のように見え、深読みに過ぎるかもしれないがそのことがタイトル「千歳」の所以かもしれない(「鶴は千年、亀は万年」)。三瀬がこれまで発表してきた壁面一面を覆うような作品からすると小さいが、作品の内包するイメージは壮大であり、それもフォーマットによるところが大きいと考えられる。その他の作品もまた、三瀬が山水そのものに強い関心を抱きながら、三瀬の方法論によって山水画を再構築していこうとする態度が読み取れるものである。コラージュのパーツよろしく個々の作品が繋がり合い、全体として一つの空間を作り上げている。 さて、「問月台」というミステリアスなタイトルについて、三瀬は2009年2月16日の自身のブログ「シナプスの小人」で以下のように綴っている。

「日曜日はしっとりと大和文華館へ。
「富岡鉄斎と近代日本画」この時期に「攀嶽全景図」を見れてほんとよかった。さらにはほんと面白い言葉をみつけた。「問月台」仙人が月と問答をする楼閣のことだって。いいなぁ、こんな絵を描きたいなぁ。こんなご時世に月に問うなんていいじゃないですか。」※1

    私にとって三瀬の作品は、初めて見た当初から、その画中に入り込んで遊ぶことができる山水画的な要素を備えるものだった。その画中とは、山中にUFOが飛び交い、ネッシーが湖から現れ、巨人が跋扈するようなSF的光景である。けれども今回の個展から窺えるのは、三瀬は自身が作り出してきた近未来的とも言える光景から時間軸としてはむしろ後退するような形で、古典的な「山水画」へ向かっているという事実である。それはしかし言うまでもなく、作家としての後退を意味しない。今、この時代に中国的画題から着想を得て描くということがどういうことなのか。三瀬を通じて私もそれを考えてみたい。

脚注
※1
三瀬夏之介のブログ、「シナプスの小人」から。なお2005年3月16日から始められた同ブログは2009年3月17日をもって終了し、現在は「奈良⇔山形」(http://blog.natsunosuke.com/)に移行している。
http://blog.livedoor.jp/kikei1973/archives/2009-02.html
最終更新 2010年 6月 13日
 

編集部ノート    執筆:小金沢智


2008年の≪ハヨピラ≫から新作の≪千歳≫まで、ここ一年ほどの水墨作品を展示。小さなパーツを繋ぎ合わせて一つの画面を作り出す手法は健在だが、それはもはや平面という枠組みにとどまっておらず、立体的な様相をあらわすに至っている。結果、イメージは純化し、一つ一つの作品は会場の中で響き合う。空間は湿り気のある山水の景へと変貌した。


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