| EN |

岡村桂三郎 展
展覧会
執筆: カロンズネット編集   
公開日: 2011年 2月 01日

コバヤシ画廊2010年個展会場風景
眼蛸10-1|2010 板、岩絵具|235×550×9cm
眼蛸10-3|2010 板、岩絵具|295×270×9cm
画像提供:コバヤシ画廊

日本画の文脈にとらわれず意欲的な作品を発表し続けている岡村桂三郎の新作個展です。

バーナーで焦した杉板に下地を作り、その下地を削りながら線描し、日本画材料を用いて描かれている。描かれる主題は、白象や鳥など実在する動物から始まり、神話や空想上の龍や架空の生物にまで及びます。

近年の作品は直立する巨大な屏風によって表象され,画廊内ににインスタレーションされています。 画題たる動物たちは画面上を大きくうごめきながら、透徹した眼でこちらを見据え、人間が古来から自然に持つ根源的な畏怖の念や共感を鑑賞者に与えます。その魅力は日本画を超えたダイナミックな絵画の力として見る者を圧倒します。

今回は、屏風状の大作と平面状の作品を組み合わせた新展開の作品展となります。

作家コメント
製作工程は、杉板のパネルをバーナーで燃やし、木目が出るまで洗い落とす。礬水を引き、膠を塗り、下地の絵の具を塗り重ねていく。それぞれの工程の中には微妙なニュアンスが有り、決して他の者に任すことができないものであるが、それらの過程を経て生まれた白い画面は、これまでの工程だけで相当の時間を要している。どこか私の分身ようでもある。
湿らせた画面を、スクレーパーを用いて削っていくが、画面に力を加え、絵の具を剥ぎ取る作業は、絵の具が物質である証拠を、私の腕が感じとる。 絵は、見えるものでもあるが、しかし、それ以前に、絵の具という物質を表面に付着させた物として存在している。そして、絵を描くという行為は、その物体の表面に何らかの力を加え、物体の表情を変化させる行為なのではないか。

いや、それだけでは無い。せっかく仕上げた下地を、削り、傷つけ、剥ぎ取っていく物質的行為は、自傷行為にも似ていて、そこには、強い「念」が必要である。
制作は、物質に「念」を宿らす作業だったのかも知れない。
ずっとこの方法で描いて来た。そして、なぜ、私はこんなにも絵を描くのか。

絵を描くということは、欲望であると思っている。
生命を宿す、儚い生き物であるが故の不安。死への恐怖。生きたいという欲望。絵を描くという行為は、まるで宗教や呪術の様に、計り知れない存在を思い描き、出現させようとする行為である。

そのようにしてできた作品と作品の間を鑑賞者は通過し、眺める。その時、何を見、何を感じるのか。

作品は、必ずしも見えなくともよい。その象徴の森の中で、どのような空気が流れているのか、それが肝心なのだ。

岡村桂三郎 Keizaburo OKAMURA
1958年東京都に生まれる。 1988年東京芸術大学大学院後期博士課程満期退学。1994-1995年五島記念文化賞美術新人賞受賞によるとして、渡米 2004年芸術選奨文部科学大臣賞新人賞,タカシマヤ美術賞1987年より個展多数。

主な個展に、2003年コバヤシ画廊、東京[以降毎年開催]。2006年「岡村桂三郎展~挿絵「海女の珠とり」と大作で綴る岡村桂三郎の世界」(財)佐藤国際文化育英財団・佐藤美術館、東京/高橋コレクション、東京。2008年「岡村桂三郎展」神奈川県立近代美術館 鎌倉。グループ展多数。

パブリックコレクション: 東京国立近代美術館をはじめ多数

※全文提供: コバヤシ画廊


会期: 2011年3月7日(月)-2011年3月19日(土)
会場: コバヤシ画廊
オープニング・レセプション: 2011年3月7日(月)17:30 -

最終更新 2011年 3月 07日
 

関連情報


| EN |