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山田純嗣:絵画をめぐって ─ The Pure Land ─
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2009年 8月 03日

fig. 2 ≪(09-4) 炎舞≫2009年|ゼラチンシルバープリント|100×44.7cm|画像提供:中京大学アートギャラリー C・スクエア|Copyright © Junji YAMADA

fig. 1 ≪(09-2) NACHI FALLS (B) ≫2009年|パネルに印画紙、インタリオ・オン・フォト、樹脂|159×57.8cm|画像提供:中京大学アートギャラリー C・スクエア|Copyright © Junji YAMADA

    山田純嗣は近年、石膏・木・針金・粘度・樹脂などで立体をまず作り出し、それを写真撮影したのち、現像した写真にエッチングを施すといった独自の行程で作品を制作している作家である。「インタリオ・オン・フォト」と名づけられた技法による作品はつまり、立体という〈実物〉が最初のイメージとしてありながら、写真撮影、エッチングという段階を経てイメージが変貌していく。C・スクエアでの「山田純嗣展 絵画をめぐって−The Pure Land−」(2009年7月2日〜7月29日)は当の技法による作品を多数展示しながら、立体による大規模なインスタレーションも同時に展示することで、虚と実を往還する思索的な場が形成されていた。

    ≪(09-2)NACHI FALLS(B)≫(パネルに印画紙、インタリオ・オン・フォト、樹脂 159×57.8cm 2009年)[fig. 1]や≪(09-4)炎舞≫(ゼラチンシルバープリント 100×44.7cm 2009年)[fig. 2]といった作品は、日本美術史を知るものにとっては既視感があるのではないか。すなわち≪(09-2)NACHI FALLS(B)≫は鎌倉時代の≪那智滝図≫(絹本著色 159.3×58.0cm 鎌倉時代 根津美術館)であり、≪(09-4)炎舞≫は明治から昭和にかけて活躍した日本画家・速水御舟による≪炎舞≫(絹本彩色 120.3x53.8cm 1925年 山種美術館)である。前者はオリジナルの厳かな滝の場面に星やフクロウなどユーモアのある文様がエッチングで事細かに描き込まれており、後者は描き込みこそまったくないもののオリジナルでは炎の周りを飛んでいる蛾が一切消滅しているなど、いずれも創意が加えられている。

    それゆえこれらの作品は一見、美術史上の作品を引用した絵画、と見えるだろう。しかし、既に記したように会場には原形である立体が展示されており[fig. 3]、私たちはそれらから、作品が過去の絵画を引用したものであるばかりではなく、過去の絵画を立体化するという行程が作品に組み込まれていることを知る。加えて、立体の展示は平面作品の制作過程を見せる親切な振舞いのようでありながら、その実、どうしてこの立体からこのような平面作品が生まれるのかという問いを喚起せずにはいられない。そう、立体はできあがった平面からは想像できないほどスケールが小さいのである。だが平面は対照的に、大きなものであるかのように見え、荘厳な雰囲気を讃えているものまである。この差異はなんなのか。

fig. 3 「山田純嗣展 絵画をめぐって−The Pure Land−」(中京大学アートギャラリー C・スクエア)展示風景|画像提供:中京大学アートギャラリー C・スクエア

    ここで、山田が今回のステイトメントで語っている、「絵画は物質にすぎないが、その本質はそれを通じて感じる不在の理念の方にある。それを顕すには、絵画に対する奉仕、つまり絶対的な信頼、愛が欠かせない」という言葉、とりわけ「不在の理念」に注目したい。これはすべての絵画に共通して言えるものだが、言い換えれば「不在の理念」とは、絵具や紙といった物質でしかない絵画から、物質以上のこと—たとえば美しさや崇高さ—を感じさせてしまうものである。山田は突き詰めれば「絵画とは何か」というきわめて大きな問いを、自身の作品の構造を曝け出すことも厭わず立てているのだが、けれどもそれは結局、作者が作品のすべてを語ることができるわけではないという「作者の死」(ロラン・バルト)の表明のようにも見える。 再び作品について言えば、私は≪(09-4)炎舞≫の正体を知りつつもその平面に魅入り、エッチングがなくとも作品として成立していると感じる一方で、≪(09-2)NACHI FALLS(B)≫のオリジナルからは考えられない描き込みのあまりの軽さ・かわいさに戸惑いも隠せない。この振幅は果たしてどこまで計算されているのかと訝しんでしまうが、幾つかの異なる段階を経て自分の想像する世界を目指して作られる作品は、そうは言っても山田が作家としての強い自負を持っていることの証左のように思える。今回の新作はステイトメントから一見謙虚なように見えるが、過去の絵画を自らの手で再生させようとする実に気概に満ちたものではなかったか。

最終更新 2015年 10月 24日
 

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