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赤羽史亮:輝く暗闇
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2009年 5月 18日

fig.1  ≪オオネズミタケ≫2009年 oil on canvas, 194×162cm|Copyright © Fumiaki AKAHANE / Courtesy of magical,ARTROOM

fig. 2 ≪きのこのはなし≫2009年 oil on canvas, 194×130.5cm|Copyright © Fumiaki AKAHANE / Courtesy of magical,ARTROOM

     初見の作家である。ウェブや印刷物でその作品画像を見るかぎり赤羽史亮の作品は偏執狂的なまでの描画が特徴であり、それは類似するモチーフの執拗な反復と増殖によって空間を埋め尽くす、余白に対する強迫観念に掻き立てられているとしか言いようがない草間彌生の作品を否応なく連想させた。「わたし大好き」な作家の、エゴイスティックな自分世界の表出。あるいはアボリジニのエミリー・ウングワレーのような、神話に起源を持つ超人間的な作品の創造。なんにせよ、それらは描くことの喜びないし苦しみといった、字義的には相反する、しかしどちらも芸術家神話を捏造するためにはきわめて有効な言説によって補強される。「アウトサイダー」や「アール・ブリュット」という言葉が「健常者」によって好き勝手に使われる今日、赤羽もまた外部の、芸術家に向けられる欲望によって「天才」に仕立て上げられてしまう類いの作家ではないか?作品を実見するまで、少なくとも私はそう感じていた。

     だがmagical,ARTROOMでの個展「輝く暗闇」(2009年4月17日〜5月14日)で作品の前に立つと、その思いは途端に氷解した。こんもりとカンヴァスに乗せられた黒を基調とした油絵具、それらがまず複製からは想像しがたい質量で鑑賞者を迎え撃つ。その印象はたとえるなら様々な動植物が堆積し、水面の淀んだ沼であり、あたかもケーキにデコレーションされた生クリームのような形状の絵具の痕跡は、カンヴァスの底から自然発生的に隆起しているかのようだ。モチーフのほとんどは明確なかたちをなしていないため具体名を挙げることができないが、それらは人のようなもの、ネズミのようなもの[fig.1]、植物のようなもの、キノコのようなものであり[fig.2]、アニメのキャラクターよろしくかわいくデフォルメされているという点で共通している。

     赤羽の作品が特異なのは、それらを、絵具が物質であるという動かしがたい事実を歪曲することなく描ききっているという点である。すなわち絵画とは絵具の集合であり、いくら写実的に描かれ、まるで実物のように見えていようとも、それはイリュージョンでしかない。赤羽は油絵具の粘着的な質感に抗うことなくむしろその性質を強く肯定し、アクリルやペン画が本来ならば好ましい平面的なキャラクターの描写を通して、それを突きつける。赤羽の作品では画材とモチーフの間に順列がなく、等価なのである。だからその作品は一見しただけではなにがあらわされているのか判別しがたいが、けれどもそれゆえに、いわく言いがたい存在感を放つ。目を凝らすというよりは距離をとり俯瞰し、ほんの少し時間を費やせば、絵具の隆起の中に摩訶不思議なものたちが蠢いていることに気づくだろう。それは初めて顕微鏡を除いたときの、肉眼では視認できないミクロな世界があることを知ったときの驚きに似ている。世界は私たちが見えているものだけで存在しているのではない。

     執拗な描写と、アニメ的なモチーフ。以上の二点から赤羽の特徴として幼児性を抽出することはたやすく、そしてそれはいとも簡単に現代の流行や芸術家神話と手を組むだろう。しかし、「油絵具の性質を積極的に採用していながらなぜそのモチーフなのか?」。その問いが頭をもたげたとき、赤羽の作品はそれ以前とはまったく異なる容貌をあらわにするはずだ。


参照展覧会

展覧会名: 赤羽史亮:輝く暗闇
会期: 2009年04月17日~2009年05月14日
会場: magical, ARTROOM

最終更新 2010年 7月 05日
 

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