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現代の水墨画2009 水墨表現の現在地点
レビュー
執筆: 小金沢 智   
公開日: 2009年 5月 11日

    富山県立水墨美術館と練馬区立美術館の共催で初めて行われた「現代の水墨画2009 水墨表現の現在地点」。富山県立水墨美術館単館での企画から数えて三回目となる今回は、伊藤彬、中野嘉之、箱崎睦昌、正木康子、八木幾朗、呉一騏、尾長良範、浅見貴子、マツダジュンイチ、三瀬夏之介、田中みぎわの11人が選出され、近作と新作約30点が展示された。私は今回選出された作家中、とりわけ正木康子と三瀬夏之介の二名に注目したい。

    まず正木である。展示室中盤に展示されていたのは≪たまゆら≫(紙本墨画・パネル6枚組、138.0×408.0cm、2006年)と≪たまゆら(月読)≫(紙本墨画・パネル7枚組、140.0×504.0cm、2008年)の二点。どちらも霧がかかっているように茫漠としているが、画面上に描かれている蓮に着目しよう。蓮は仏教上重要な意味を担い、造形表現上も仏とともに表されることが多い水生植物である。したがって作家が意図しているにせよしていないにせよ、蓮が描かれているということから私はそこに極楽浄土、ないしは彼岸の風景を読み取ってしまう。そこは苦しみや憎しみが存在しない現世とは異なる秩序によって構成された世界である。

    だが私が正木の蓮から想起するのはその逆、地獄の光景にほかならない。蓮は水面から顔を出し色鮮やかな花弁で人を楽しませたり落ち着かせたりする植物ではない。≪たまゆら≫で蓮はまるで闘争中であるかのようにその茎を伸ばし、からだをくねらせ、入り乱れ、のたうち回っているのである。画面は墨がまとわりついているかのように重苦しく、ステレオタイプな蓮のイメージは完全に払拭されている。

三瀬夏之介≪ハヨピラ≫(2008年)三点連作|画像提供:練馬区立美術館|Copyright © Natsunosuke MISE

    展示室終盤に掛けられていた三瀬の連作≪ハヨピラ≫(2008年)三点※1もまた、闘争ないし戦争を想起させるスケールの大きい作品である。全画面に共通して描かれているキノコ雲と、墨の滲みであらわされている飛行機雲が飛行機の故障と墜落(あるいは撃墜)を思わせることが一見しての要因だがそれだけではない。巨大な山と、球状の噴煙から放射線状に広がる光線。それがまさしく第二次世界大戦下の日本画、富士山と日章旗の組み合わせによる国威掲揚のためのプロパガンダ絵画を連想させるのである。もっともプロパガンダとしての日本画のほとんどが油絵とは異なり表現上はおだやかなものだったことを考えれば、三瀬の作品がそれと対極にあることは明らかである。しかし、きわめて小さいが画中に実際に発見できる日章旗、そして日本の花として不動の地位を得ている桜の描写が、そこに「日本」の一つの型があらわれていることを示している。三瀬の≪J≫(墨・胡粉・金属粉・金箔・染料・アクリル・和紙、2008年)が2009年のVOCA賞を受賞した際、選考委員の一人である南嶌宏のコメントに、「戦争画」の身振りを見せる作品だった、とあったが、≪ハヨピラ≫はそれ以上に戦争画とイメージが通底する作品である。

    くわえてアイヌ語で「武装する崖」を意味するというタイトルの「ハヨピラ」。三瀬は以前から画中に作品名を書き込んでいるが今回も≪ハヨピラ2≫中央にその書き込みが認められ、それは画中であるという点で作品と切り離されたキャプション上にしか存在しないタイトルとは異なる意味を持つ。噴煙と光線が豪快な音を轟かせている一方で、「ハヨピラ」という聞き慣れない奇妙な言葉の響きが耳に異なる音を生じさせるのである。これは鑑賞者が日本語を解することが前提ではあるが、日本語が母国語である私はそう感じざるをえない。

    以上の作品は私にとって、造形としてだけではなく、私自身に少なからず蓮や富士山や日章旗といったものが染み付いていることをいやがおうにも突きつけるという点で、けれども作品がその日本的なものを引き裂いているという点で重要である。本展のタイトルに掲げられている「現代」という言葉は私には広範に過ぎ、「水墨画」としてどうか、ということにもほとんど興味がない。なによりどんな表現も鑑賞者にとって最大の関心事は、それが私にとって如何なる意味を持つか、であろう。今回一つの展覧会でありながら二人だけを取り上げた所以である。

脚注
※1
以下の三点である。≪ハヨピラ1≫(和紙・墨・胡粉・印刷物・金箔、250.0×360.0cm、2008年)、≪ハヨピラ2≫(和紙・墨・胡粉、250.0×360.0cm、2008年)、≪ハヨピラ3≫(和紙・墨・胡粉、250.0×360.0cm、2008年)。

参照展覧会

展覧会名: 現代の水墨画2009 水墨表現の現在地点
会期: 2009年4月21日~2009年5月31日
会場: 練馬区立美術館

最終更新 2010年 6月 13日
 

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