三瀬夏之介:冬の夏 |
レビュー |
執筆: 小金沢 智 |
公開日: 2009年 3月 03日 |
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方舟、梯子、新芽、葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖波裏》、女性、神話、新芽、富士山、豪華客船、鳥居、高層ビル、平地、住宅、花、軍用機、機関車、飛行機、子供、巨人、気球、UFO、五重塔、大仏、少年、飛行機、ドット、飛行機、龜、山景、水景、月、光、野仏、高層ビル、墜落する飛行船、野仏、水景、漁船、点景人物、梯子、山景、山桜、滝、大仏、コロニー、梯子、電信柱、日章旗、新緑、高層ビル、大仏、ハイビスカス、光線、暗雲、高層ビル、大仏、高層ビル、山景、噴煙、少年、雷、高層ビル、ネッシー、梯子、山景、水景、滝、煙、飛行機、巨人、高層ビル、飛行機、龜、UFO、雲、指、高層ビル、梯子、橋、日章旗、山景、山桜、少年、飛行機、噴煙、日章旗。 2 描法はひとまず問題にせず描かれている(コラージュされている)イメージだけを順を追ってピックアップしてくと、三瀬夏之介がライフワークとして制作している他に類例を見ない長大なスケールの屏風状作品、《奇景》(ミクストメディア、三十四曲一隻、一曲 154×91.5cm、2003-2008年)に認められるものはおおよそ以上の通りである。ただしこの作品に描かれているものの中には具体的な呼称を挙げることが困難な、何だかわからないもの少なくない。さらに墨・顔料の飛散に痕跡、錆の発色、幾重にも重なる紙のコラージュや、時に画面の中で大きなスペースを占めている余白もここには含まれていない。そして何より断っておかなければならないことは、これらの判断を下しているのは私であり三瀬ではないということである。作者から一切の教授を受けていないため、こうした解釈の一部、ないし大部分が三瀬にとって本意ではない可能性は十分にありうる。 第六扇目と第二十八扇目の二度場面を変え登場する巨人は、三瀬が「J」と呼ぶ存在である。「J」ではあまりに記号的であるためここでは便宜的に巨人としたが、その内実については既に書いたためここでは繰り返さない。※1 《奇景》の展示された三階には「J」をテーマに制作され2008年末イムラアートギャラリーでの個展で発表された二曲一双屏風、《J》(和紙に墨・胡粉・染料・アルミ箔・インクジェットプリントによりコラージュ・印刷物、190×245cm、2008年)が展示されていたため、鑑賞者の多くは作品が異なってもそのモチーフが反復されている事実に気づいただろう。中には《奇景》の二度目に現れた時には吹き出しがつけられ、けれども何も言葉を発していないことに気づくものもいたかもしれない。一度目はその右横に「ART(あぁと)」と文字の入った気球が飛んでおり、まるで巨人がそう喋っているようにも見えるという点で近いイメージとなっている。 イメージの反復とそれに乗じて生じる幾ばくかの変化という点で、よりわかり易い例を挙げよう。大仏である。第十六扇目のそれは横顔であり胴体が山の稜線にはめ込まれているように描かれているが、第十九扇目の正面を向いたそれはまず顔のサイズが一回り大きくなっている。加えて背から発している後光が、激しい墨の筆致と胡粉のハイライトによってそれまでの比較的穏和なモノトーンの画面を一新させるインパクトを備えている。大仏は次いで第二十扇目にも二体並んで描かれているが、サイズが最も小さいそれらの印象はきわめて地味である。 こうしたイメージの反復はなにも《奇景》の中だけに限ったことではない。ある作品から別の作品へ、そのイメージが連鎖し増殖していくことも三瀬の作品の大きな特徴である。たとえば今回の展示作品だけ見ても、先に記した巨大な大仏は、《ぼくの神様》(250×545cm[オーバル]、2008年)左上に描かれている大仏と顔の向きこそ反対であるものの、それ以外については姿形が近似している。それから《奇景》第八扇目の五重塔。大仏を中心に複数の五重塔が放射線を描くように配置されあたかも曼荼羅を想起させる構図だが、これをより大きく描いた場面のある《すきまをみつめる》(七曲一隻両面屏風、和紙・染料・顔料・金属粉、2003年)が四階に展示されていた。おびただしい数の飛行機が旋回するその場面は、《奇景》以上に苛烈である。あるいは《奇景》第七扇目と第三十扇目に現れるUFOは、「web UFO」というタイトルの個展をかつて三瀬がしたことからも明らかなように、※2それをメインにした作品も少なからず展示されていた。他にも《奇景》第二十五扇目に現れるネッシーは四階に展示されていた《J》(和紙に墨・胡粉・染料・アルミ箔・インクジェットプリントによりコラージュ・印刷物・アクリル、182×242cm、2008年)にその大群が描かれていたし、第六扇目と第三十二扇目に登場する目から光線を出す少年なども三瀬の作品に代表的なイメージとして他の作品にも頻出している。 3佐藤美術館で開催された「三瀬夏之介展 冬の夏」(2009年1月15日〜2月22日)は、同館の立島惠学芸員が担当した三階、展示室1に陳列された《奇景》から始まった。同階は他に《すきまをみつめる》シリーズや《J》などが展示されアトリエも再現されていたが、そのとき私たちは総長30メートルを超える《奇景》の前をひた歩く中で、知らず知らずのうちに三瀬の生み出すイメージを脳裏に刻んでいったに違いない。既に記したように、その記憶が呼び起こされるのが、三瀬の担当した四階、展示室2である。大作・小品、オブジェがまさに所狭しと展示された室内は三階と同様アトリエも再現されていたが、※3注目すべきはそのことによって作品が制作された背景や文脈が剥ぎ取られ、イメージだけに還元されていたという点である。 今回の展示で制作後初めて左右対に並べられた《日本画滅亡論》(和紙・墨・胡粉・金箔・アクリル・印刷物コラージュ、2007年)と《日本画復活論》(和紙・墨・胡粉、2007年)。森本悟郎キュレーションによる中京大学Cスクエアでのグループ展「日本画滅亡論」※4に出品するため制作された前者は、水墨の山々が蠢く中、日章旗が乱舞し、当時留学中だったフィレンツェの風景が散見、加えて現地で手に入れたという色鮮やかな印刷物がコラージュされた作品である。そして後者は、《日本画滅亡論》と対をなすようにして制作され、Cスクエアにほど近いギャラリー、名芳洞blancで同時期に発表された作品。箔もアクリルも印刷物も使われておらず墨を基本とするが、中央の噴煙から発せられる光線とそれに平行するように描かれている建築物が画面に深い奥行きを与えている。組み合わされた場面が安定を保とうとせず重苦しい雰囲気を漂わせる《日本画滅亡論》と、各場面がそれぞれ独立しつつも整合し、神々しさすら感じさせる《日本画復活論》。どちらもフィレンツェ留学が色濃く反映された作品であり、「日本画」をめぐる議論への三瀬からの回答として重要なものだが、今展覧会ではその議論自体が提示されなかった。 二作に限った話ではない。そもそも会場では作品毎のキャプションを付けておらず、解説パネルもなく、それゆえ作品の解釈は観客に大きく委ねられた。※5フィレンツェで出会った詩人、ロレンツォが三瀬に贈った美しい言葉「冬の夏」も、私たちに作家と作品、展覧会に対する特定のイメージを植え付けさせなかった。だから作品にはたった一つの解釈を、展覧会には美術史的位置づけを求める人にとっては、今回の展覧会は不満足なものだったかもしれない。「私には理解できない」という声も、会場では聞こえてきた。けれども計三回訪れた展覧会で、私はじっと画面を凝視して止まない人を数多く見ることができた。その人たちはおそらく、画中に入り込み遊び回る愉悦を知っている、あるいは三瀬の作品によってその術を体得した人たちであっただろう。それこそ、今回の展覧会の最大の意義にほかならない。 脚注
展覧会名: 三瀬夏之介:冬の夏 |
最終更新 2010年 7月 06日 |